2022年 7月

2022.7.31.     礼 拝

 

コロサイ4:2(P372)     「祈りなさい」

 

使徒パウロは、コロサイの信徒たちに対して「祈りなさい」と勧めました。キリスト者として歩み続けていくためには、神の助けを求めることが必要であるからです。私たちも、自分自身のために、また、兄弟姉妹のために祈る者となりたいのです。

1.目を覚まして祈る

私たちを祈りの生活から遠ざけるものはたくさんあります。イエス様も弟子たちに「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい」〈マタ26:41〉と語られました。このことは、不眠不休を意味しているのではありません。目を覚まして祈ることは、いつ、いかなる時にも、主を見上げ、主に立ち続けることなのです。

2.感謝をもって祈る

私たちは、自分自身を中心にして、願い事を祈るだけになってしまうことがあります。そして、期待通りの答えが得られないと、不平不満を訴えることもあるのです。しかし、主は、私たちの祈りを聞き、最善をなしてくださいます。主が私たちにしてくださったことを振り返ってみましょう。

3.ひたすら祈る

「ひたすら」と訳されている言葉には、「専念する」、「熱心になる」という意味もあります。私たちは、時として、祈りが後回しになってしまったり、祈り始めても諦めてしまったりすることがあります。けれども、どのような状況にあっても、主に祈り続けていきたいのです。あなたは、いつも祈る備えができていますか。

祈りを通して福音宣教の働きは前進してきました。それぞれの祈りが大切なのです。今日も私たちは、目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈り続ける者となりましょう。

  •        31日(日)  9:30~ JFC  11:00~ 礼拝(礼拝の動画配信・CD郵送・レジュメ送付は引き続き行います)  誕生祈祷  4教会キャンプ(オンライン)
  •     3日(水)  祈祷会(13:30~ 19:30~  メ=濵崎師)  各自で聖書を読み、祈祷課題を祈ることも継続します

2022.7.24.     礼 拝

 

詩編126:1-6(P971)     「涙と共に種を蒔く」

 

私たちは、厳しい現実に直面する中で、涙と共に種を蒔くという経験をすることがあります。それは、無駄な行動のようにも思えるものです。それでも、私たちは種を蒔き続けたいのです。なぜなら、主はいつも、変わることなく働いてくださるからです。

1.希望を与えてくださる

イスラエルの民たちは、バビロン捕囚という問題の中にいました。自分たちの力ではどうすることもできず、将来を諦めてしまっていました。そんな彼らを主は解放してくださったのです。私たちがあり得ないと思っている事柄でも主は働かれます。希望は主にあるのです。主が与えてくださる希望をまず握りましょう。

2.大きな業を成し遂げてくださる

希望に満ち溢れてエルサレムに帰還した彼らの前には、厳しい現実が立ちはだかっていました。そのことによって、彼は希望を見失いそうになってしまったのです。そんな時、私たちは、主は成し遂げてくださるお方であることを覚えたいのです。主に不可能なことは何一つありません。主に信頼し、全てを委ねていきましょう。

3.涙を喜びへ変えてくださる

主は、どんな状況にあっても喜びの歌を与えてくださいます。涙で終わらせることはないのです。私たちは、様々なものの中から喜びを探し出そうとします。しかし、喜びは見つからず、疲れ果て、涙へと戻っていくのです。主なる神様だけが喜びを与えてくださいます。三十倍、六十倍、百倍の実を結ばせてくださるのです〈マル4:8〉。

主は、涙ではなく、喜びを与えてくださいます。今日も主に希望をおいて、種を蒔き続けましょう。そして、主にあって喜びの歌をうたう者とならせていただきましょう。

  •        24日(日)  9:30~ JFC  11:00~ 礼拝(礼拝の動画配信・CD郵送・レジュメ送付は引き続き行います)  JFC教師会
  •   27日(水)  祈祷会(13:30~ 19:30~  メ=かおり師)  各自で聖書を読み、祈祷課題を祈ることも継続します

2022.7.17.     礼 拝

 

ヨハネ福音書3:22-30(P168)     「天から与えられる」

 

天から与えられなければ、人は何も受けることができない〈27〉。

ヨハネの自覚〈1章〉

ヨハネは、人々に水の洗礼を授ける中で「悔い改め」を説きました。イエス様と出会った時、待っていた人が来たと分かり、この方のために道ぞなえをするという自分の役割が果たされつつあることを自覚しました。

彼は、与えられた使命を全うし、高慢になることはありませんでした。

弟子たちの思い

ヨハネの弟子たちは、ユダヤ地方でイエス様が洗礼を授けていることを知り、大勢の人々がイエス様の方へいくのを見て、快く思いませんでした〈26〉。ヨハネは初めから「自分はメシヤではない」と宣言しているのですが、弟子たちは自分の従っている人に偉くなって欲しいという欲がありました。

人は高慢になり易く、自分の行動に意味を持ちたいと願います。

天から与えられる

ヨハネは「わたしは花婿の介添え人のように、喜びに満たされている」〈29〉と言いました。彼はすべてが天から与えられると知っていたからです。私たちは、生活の中で自分の足りなさを覚える時があります。しかし、すべては「天から与えられ」ています。

私に必要なものはすべて与えられていると感謝し、行動していく者となりましょう。

天の父なる神様 ヨハネの従順を見る時、私たちに与えられているものに不足はないことを感謝します!いつも主の前にあって、私のよきものを喜んでお献げしたいです。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

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