「迷子の羊」
2019.9.1. ウェルカム礼拝
ルカ福音書15:1-7(P138) 「迷子の羊」
羊にたとえられた人間
▽羊はとても弱い動物――攻撃をする武器を持っていない。近視。一匹では生きられない。群れから離れたら迷子になる。羊飼いが必要。
▽羊が迷子になる死につながる。聖書が語る「いのち」とは? ①肉体的命。 ②精神的命。 ③霊的命。
「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」〈創2:7〉。これは人間だけ。
生きるとは?
▽新約聖書で「いのち」の原語は、ほとんどが「霊的いのち」のこと。すべての人は迷子の羊と同じく死んだ状態。霊的に死んだ状態が「罪」。
「一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです」〈ロマ5:12〉。
▽霊的に死んでいる人は、肉体的、精神的に元気であっても、何か満たされない、もの足りない、生きている実感がない生活を過ごしている。
羊飼いが必要です
▽帰る所が分からないから迷子です。迷っている羊が本来いるべき所に帰る方法は一つだけです。羊飼いに見つけ出していただくことです。〈4〉
▽イエスは約束してくださっています――〈ヨハ10:10-11〉と。
「見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り」、人々を集めて祝会を開いてくださるイエス〈5、6〉抱かれ、真に幸いな人生を歩んでください。