「すべてをキリストの中心に」   片平勝師  

2026.6.21.     門真聖会 聖会Ⅱ

コロサイ3:17-24(P372)      「すべてをキリストの中心に」

わたしたちの信仰には必ず生活が伴います。ここに、今にも通じるそれぞれの立場における信仰生活のありさまが示されているのでしょう。

Ⅰ.すべてを主の名によって行う生活とする

たとえば、食前に祈るとき、「主イエスによって」ということは、「イエスさまの恵みをいただいて」ということです。

同様に、「妻たちよ」「夫たちよ」「子どもたちよ」「父親たちよ」「奴隷たちよ」「主人たちよ」と、それぞれの立場で生きる信仰者へ、「主イエスの名によって」、「主イエスの恵みをいただいて」結ぶ関係です。それは現代を生きるわたしたちの生活にも通用します。

Ⅱ.すべて主に対して仕える生活とする

マルコの10章で、イエスさまはご自分の「仕える者」としての生きざまを語ります。この姿は、わたしたちにとっても「主イエスの名によって」の歩みとなる模範となります。「仕えて生きること、しもべとして生きること」は、決して弱者の生きざまではありません。イエスさまをリスペクトして、倣い生きる誠実な歩みです。

Ⅲ.主にすべての栄光を帰する生活とする

私たちの信仰の生活はすべて、イエスさまの恵みによって始められ、恵みにおおわれ、またその恵みによって祝福されていくものです。「主イエスの御名によって」という時、…このことはすべて、「恵み」なのです。だから、信頼して主に感謝することができます。「彼(イエスさま)によって父なる神に感謝」できるのです。

イエスさまが教えてくださった「主の祈り」は、わたしたちを、イエスさまの恵みにおおわれる生活へと回復してくれる祈りです。この祈りを携えて、今日も明日も恵みの中を歩みましょう。