2018年9月 第429号 「イエスの十字架とは?」

イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」(マルコによる福音書 8章33節)

 

イエス様がユダヤの宗教家や指導者たちに、「排斥されて殺され、三日の後に復活する」と弟子たちにはっきりと語られた時、「ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始め」ました。するとイエス様はペトロを叱り、初めに引用したみことばを語られたのです。

なぜでしょうか。唯一まことの神様に似せて造られたその神様の愛に背き神様と同じようになろうとした私たちを救わなければならない義務など神様にはどこにもないのです。

しかし、神様はそんな私たちをも愛し、その背信の罪を贖い救うために、御子イエス様を人としてこの世に遣わしてくださいました。つまり、イエス様が十字架で罪の代価として命を捨ててくださることが父なる神様の御心であるということです。

だからペトロが主イエス様のことを心配して、ご自分の十字架の死を予告されたことをとめようとしたことを拒まれたのです。

神様は、罪の代価を払うことのできない無力な私たちに代わって、その代価を払ってくださいました。それが十字架です。十字架こそが神様の愛と犠牲のシンボルなのです。死ぬことのない神の御子が十字架に死なれることによって、私たち一人ひとりを神様のものとしてくださいました。「私たちがまだ罪人であった時、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。」(ロマ5・8)