「実を結ぶ祈り」

2013.4.28.          礼  拝

 

マルコ11:12-25(P84)        「実を結ぶ祈り」

 

イエスに呪われて枯れたいちじくの木の事の間に、宮清めの事が記されており、枯れたいちじくは、「実を結ぶ祈り」のための視覚教材です。

 

Ⅰ.器を清め祈る〈15-18〉- 汚れたままでは安心して祈れません。

イエスは、聖書に基づいて神殿を清められた〈17〉。ここで「祈りの家」は〈イザヤ56:7〉、「強盗の巣」は〈エレミヤ7:11〉の引用。みことばから離れては、実を結ぶ祈りはできない。

イエスが呪われたのは、実のないいちじくではなく〈13〉、それが象徴する形式的な信仰や律法主義で、イエスを信じない霊的に死んでいる人に対してです。〈15,18〉

祈りの実を結ぶために、上辺だけの信仰やみことばに反することを取り除こう。

 

Ⅱ.確信に基づき祈る〈20-24〉- 半信半疑では実を結ぶ祈りはできない。

イエスがみことばをもっていちじくを枯らしたのは〈14〉、イエスが権威ある神で ある証明。しかし、弟子たちはそれを見て驚きはしたものの半信半疑です〈20,21〉。

そんな弟子たちにイエスは「神を信じなさい。」と命じる〈22〉。そして、全能の神を信じることによって、できないことができ、奇跡が起こると言われた〈23〉。

奇跡の神を疑わず信じ切り、求めたことの答えを受け取る前に、「すでに得た」と信じる「恵みの先取り」の信仰に、主は必ず答えてくださる〈24〉

 

Ⅲ.赦しに基づき祈る〈25〉- 赦さないままでは、神の前で祈れない。

イエスは、私たちの罪を赦すために十字架に命を捨てられた(マルコ10:45)。イエスの十字架の購いを信じることによって赦されるから、赦しは信仰の実です。

罪を赦してくださったイエスに従うことによってのみ、人を許すことができる。

全身全霊をもって主を愛し、自分を愛するように人を愛する時、祈りは実を結ぶ。