2017年2月 第410号 「神の愛と神の義」

昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」(マルコによる福音書15章33~34節)

 

主イエス様は十字架につけられる前夜、ゲッセマネの園で一晩中父なる神様に血潮混じる汗を滴らせながら「この杯を私から取りのけてください」と三度もくり返してご自身の苦悩を訴えられました。「この杯」とは人類の罪に対する神の怒り、罪を裁く十字架のことです。

しかし、イエス様は「私が願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と父なる神の御心を受けとめ、私たちの罪の身代わりとして十字架に命を捨てることを決心なさいました(マルコ14・32~36参照)。

神の御子イエス様の願いどおりになることと父なる神様の御心がなることとが、火花を散らして正面から激突しているのがゲッセマネの祈りです。

罪のないお方が罪人扱いされる苦しみ、父なる神と永遠に一つであるお方が父から見捨てられる苦悩。だからイエス様は「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と大声で叫ばれたのです。この叫びは、唯一真の神に背き自分勝手に生きている私たち、神様との関係が断絶状態にある私たちの叫びでもあります。

イエス様の十字架で神の愛と神の義が交差したのです。三時間にも及ぶ地上の暗黒は、全人類の罪の重さとその結果の状態の象徴であり、また、御子と共に苦悩される父なる神様の御思いの現われです。「罪と何のかかわりもない方を、神は私たちのために罪となさいました」(Ⅱコリント5・21)