「ほめたたえよ」  

2026.4.26.     礼 拝

詩編117(P957)      「ほめたたえよ」

聖書には、人々が主に向かって礼拝をささげている姿が多く出てきます。それも一つの出来事が起こった後に書かれていることが多いのです。彼らは、その時の思い付きで礼拝をささげていたのではありません。礼拝をささげる理由とは一体何なのでしょうか。

1.感謝するため

主は、私たちにいつも良いことをしてくださいます。ただ、時には、問題にぶつかり、礼拝をささげることが難しいと感じることもあります。しかし、そこにも主の恵みは溢れています。主の恵みを数える時、私たちは、賛美をささげることができるのです。賛美は、主がしてくださったことに対して応える行動なのです。

2.一つとなるために

「すべての国よ」「すべての民よ」という言葉は、イスラエルの民たちにとって簡単に受け入れられる事柄ではありませんでした。私たちは、様々なところで壁をつくってしまいます。主は、そんな私たちを一つにしてくださるのです。主によって壁を乗り越えさせていただき、主の栄光がこの所に満ちるという体験をさせていただきましょう。

3.前進するため

礼拝には、過去があり、今があり、未来があります。礼拝をささげて終わりではなく、そこから新しいスタートがあるのです。私たちの人生の歩みは、これから先も続いていきます。しかし、前へ進む力は自分自身から出るものではありません。日々、主からの新しい力をいただく必要があるのです。主のもとで休み、新しい一歩を踏み出しましょう。

主は、私たちが良いと感じる時も悪いと感じる時も変わらずに恵みを注ぎ続けてくださいます。主の恵みに目を留め、いつも心からの礼拝を主にささげていきましょう。