「招かれたなら」

2018.8.5.       伝 道 礼 拝   

 

ルカ14:15-24(P137)       「招かれたなら」

 

神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう〈15〉。

 

大宴会の日に

イエス様は食事の席で、大宴会のたとえ話しをされました〈16〉。当時の、大宴会は結婚式のような、生涯に一度しか開かれないような、大切で重要な記念すべきことでした。招かれることはとても光栄なことでした。

イエス様は、日常生活の中で大切なことをたとえ話しにして語られました。

 

招かれた人たち

招かれた人たちは宴会の時間になって、「畑を買ったから」、「牛を買ったから」、「結婚したばかりだから」と色々な理由をつけ、参加を断わりました〈18-21〉。通常、大宴会の招待は二度行われます。宴会の時刻になって断わるということは、一度は「行きます」と答えたということです。

主人が悪い人で「周りの人に嫌われていた」という話ではありません。

 

決断はその時に

主人は怒って、「広場にいる人、貧しい人、体の不自由な人」を招待するように命令しました〈21〉。宴会は満席になり、用事の終わった人も後で入ることはできません。招かれた人は、神の国で食事をするチャンスを無駄にしてしまいました。

これは二度あるチャンスではありません。招かれたのならばその時に返事をしなければならない。これがたとえ話しの教訓です。

 

お祈り 天にいます父なる神様、御名を崇めます!神様が私たちに与えてくださったチャンスを逃すことが無いよう、招かれたのならば…後回しにしないように助けてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン