月刊・シロアム

そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。(使徒言行録 20章32節)

 

クリスチャンを迫害するためダマスコに急いでいたパウロは途上で復活されたイエスに心を捕えられ回心し、宣教師として召されました。

そして、小アジア地方を三回も巡回伝道して、いくつもの教会を形成しました。彼はキリストの福音(イエスの十字架の死と復活)を伝えるために殉教を覚悟していました。「主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません」(使20・24)とあるとおりです。

使徒パウロは、エペソの教会の長老たちとの別れの挨拶の中で語っているのが冒頭の言葉です。自分がいなくなった後の教会の兄弟姉妹、牧会伝道のすべてのことを「神とその恵みの言葉」にゆだねる。なぜなら、神の言葉は生きており、力があり、キリスト者一人ひとりを造り上げ、整え、神の恵みを受け継がせることができるからです。

「聖書はすべての神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」(Ⅱテモ3・16)。また、「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです」(ヘブ4・12)とあります。神の言葉を心にたくわえましょう。

試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。(ヤコブの手紙 1章12節)

 

 今年は新年早々大雪で、車が何十台も動けなくなったり、除雪作業中に亡くなる人がでています。また、コロナウイルスに感染して亡くなる人もいます。コロナウイルスのまん延もいつ終息するのか先行きが見えない情況です。

 人生には試練がついてまわりますが、聖書は、試練を父親の愛の鞭だといっています。

 「主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます」(ヘブライ12・6-7)。

自分自身の四十年を越える信仰生活を振り返ってみても、順境の時よりも逆境の方が信仰が鍛えられ、成長していることが分かります。

「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです」(ヘブ12・11)とあるとおりです。

イエス様の地上での人としての生涯をみても、正に試練によって始まり、試練によって閉じられています。しかし、イエス様のご生涯は惨めで悲惨なものではなく、神の御子として喜びと平和に輝くご生涯でした。だから

「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16・33)。と宣言されているのです。

見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。(イザヤ書43章19節)

 

新春のお祝いを申し上げます。

イエス・キリストの福音を伝えるために主なる神様に召されて、大阪市都島区で一九五八年から一九七〇年まで12年間、守口市梶町で一九七一年から一九八〇年まで9年間、門真で一九八〇年から今年で41年目になります。

そして、二〇一二年六月三日の未明、枚方で開拓をせよとの召命を受けた時に私の心にひびいたのが冒頭のみことばです。

主なる神様はみこころ(ご計画)によって、次々と新しいことをなしてくださるお方です。都島でも梶町でも、そして門真でも。だから、枚方でどんな新しいことをなしてくださるかが、とても楽しみです。

イエス様が、最初に神様としてのご栄光を現されたのが、ガリラヤの町カナで婚礼の最中(さなか)で、水をぶどう酒に変えられた奇跡です。(ヨハ2・1~11参照)。この事実を知っていたのは、「水をくんだ僕」だけでした(同9節)。つまり、イエス様のみことばに従順して実行する人がイエス様のなさるみわざを体験できるということです。たとえそれが自分で納得いかなくても。

「わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」ようなことをです(イザ43・19)。

さあ、今年も新しいことをなしてくださる主を待ち望み前進しましょう。「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザ40・31)。

羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って。(ルカによる福音書2章15-16節)

 

クリスマス(救い主イエス・キリストの御降誕)おめでとうございます。 

救い主がお生まれになったことを最初に知らされたのは、その日暮らしの貧しい羊飼いたち。救い主が人の子となって産声をあげられたのは、馬小屋の飼い葉桶の中、すべての人の救い主として世に出られるまで生活されたのは貧しい大工の家族の一人として。聖書にはイエス様が笑われたとはどこにも記されていません。イザヤは「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で」と預言している(イザ53・3=口語訳)。

主は「わたしの名は不思議です」(士師13・18=口語訳)とありますが、人間の知的能力をはるかに越えておられるからこそ神なのです。

さて、イエス様が決して特別な人としてではなく、私たちと同じ普通の人間としてこの世に来てくださったとは、何とすばらしい恵みでしょうか。「今日ダビデの町(ベツレヘム)で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」(同11節)と過去形で書かれています。これは、イエス様が救い主として、歴史上の人物として現実に来てくださったということです。

「時が満ちると、神は、その御子を女から、(中略)生まれた者としてお遣わしになりました」(ガラ4・4)。

さあ、あなたも羊飼いたちと同じように、救い主を見るために、急いで行こうではありませんか。「もし信じるなら、神の栄光が見られる」(ヨハ11・40)。

「主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった」(ヨブ記38章1節)

 

ヨブは、自分の知らない理由ですべてのものを失い、自分自身も耐えられないような重い皮膚病で苦しみます。

彼を慰め励ましに来た友人たちは慰めるどころか、「お前がそんな目にあうのは、罪を犯したからだ」と言ってヨブを苦しめました。

友人から非難され、苦しむヨブは、神様にその答えを求めました。

口語訳聖書では、前記のみことばの前に「この時」と記されています。ヨブがその答えを直接神様に求めた時、神様は嵐の中からヨブに答えられたのです。

私たちは、自分ではどうすることもできないような人生の嵐に出会うことによって、自分の弱さ、自分の本当の姿に気づかされます。そしてそんな時にこそ神の語りかけを聞くことができるのです。

ヨブは自分のいきどおりを神様に訴えたのは、本当は神様によって毎日生かされていることに気づいていなかったからです。ヨブは自分の力で正しい生活をしているとうぬぼれてたので、神様はヨブは本当はどんな人間であるかを分からせるために、嵐の中から語られたのです。

神様は2節から「これは何者か」とヨブに答えておられますが、ヨブの苦しみの答えを語らず、答えにならない答えを持ってヨブに答えておられます。

私たちも人生の中で「なんで?」と思うようなことを体験しますが、それは本当の自分の姿を知り、それでもなお愛し、生かしてくださる神の愛に気づくためなのです。

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