礼拝のお話し

2020.2.23.       礼 拝 

 

ルツ記2:1-17(P422)       「私の偶然と神の必然」

 

ベツレヘムに到着したナオミとルツは、この地で様々な偶然と思われる出来事に遭遇しました。しかし、それは本当に偶然だったのでしょうか。私たちにとっての『偶然』なことも主なる神様にとっては『必然』なことなのです。

 

1.祝福の備えをされる神

主は祝福を与えるために三つの備えをされました。①『時』⇒大麦の刈り入れの始まるころであった〈1:22〉。②『場所』⇒そこはたまたまエリメレクの一族のボアズが所有する畑地であった〈3〉。③『人』⇒ボアズがベツレヘムからやって来て〈4〉。偶然とも思えるような状況の中でも主は確かに働いてくださっているのです。

 

2.守りを与えてくださる神

ルツは何をするにしても弱い立場にありました。しかし、「あなたの神はわたしの神」〈1:16〉と告白した彼女を主は決して見放すことはありませんでした。そして、彼女を守るためにボアズを立ててくださったのです。どんなに厳しい状況にあっても、主に信頼する者を主は必ず守ってくださいます。

 

3.報いを与えてくださる神

落ち穂拾いをするルツの心の中は不安でいっぱいだったことでしょう。主はそんな彼女に安息の機会を与えてくださったのです〈14〉。それは、彼女が唯一真なる神を愛し、隣人を愛する者だったからです。主は彼女のこれまでの行動を覚えていてくださいます。そして、確かに報いを与えてくださるのです。

 

主はどんな時にも私たちに希望を与えてくださいます。いつも主の計画の内にあることを覚え、ただ主に目を向けていきましょう。

2020.2.16.       礼 拝   

 

ヨハネ4:43-54(P171)       「あなたの信じたとおりに」

 

再びガリラヤのカナへ 〈46〉

▽〈46〉イエスは、水をぶどう酒に変える奇跡を行ったガリラヤのカナへ再び行かれた。〈45〉人々はイエスを歓迎したが、〈48〉信仰によってではない。

▽〈44〉イエスは、「預言者は自分の故郷では敬われない」〈ルカ4:24〉と言われていた。だから、〈48〉とはっきり非難されたのである。

復活されたイエスは、弟子のトマスに「私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」〈ヨハ20:29〉と言われたことを覚えたい。

 

イエスのもとに行き 〈47〉

▽〈46〉カファルナウムから来た息子が病気の王の役人は、イエスがガリラヤから来ておられると聞き、〈47〉イエスのもとに行き、息子のいやしを求めた。

▽〈49〉役人は「主よ、子どもが死なないうちに、おいでください」と頼んだ。彼は「見ないでも信じる信仰」があったから、こう求めることができた。

私たちは信仰の足りなさの故に、「見ないで信じる」ことは難しい。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること」〈ヘブ11:1〉。

 

帰りなさい 〈50〉

▽〈50〉彼の求めに対するイエスの答えは「帰りなさい。あなたの息子は生きる」です。すると、彼はイエスの言葉を信じて帰って行った。

▽〈51-53〉その後、役人は息子がいやされたのは、イエスが「息子は生きる」と言われたのと同じ時刻であったことを知って、イエスを信じた

役人は「見ないで信じる」信仰によって、「見て、事実を確認」できた。私たちも「あなたが信じたとおりになるように」〈マタ8:13〉を心に刻もう。

2020.2.9.       礼 拝   

 

ルツ記1:15-18(P422)       「あなたの神はわたしの神」

 

ルツはナオミに故郷に帰るようにと説得される中で「あなたの神はわたしの神」〈16〉と告白しました。この告白は相当な覚悟が必要な言葉でした。「モアブの女」と呼ばれるルツはなぜこの告白をすることができたのでしょうか。

 

1.本当に大切なものを見つけた

ルツの故郷であるモアブにはモアブ人古来の神が存在していました。長年親しんできたものから離れることは容易なことではありません。しかし、彼女はナオミたちとの交わりを通して本当に大切なものを見つけることができたのです。私たちも本当に大切なものをどんな時にも堅く握り続けていきましょう。

 

2.主に全てを委ねた

これから先の歩みはルツにとって何の保証もありませんでした。それでも、彼女は主に全てを委ねる道を選んだのです。私たちには限界があります。けれども、主に不可能なことは何一つありません。そんな主がいつも変わることなく共に歩んでくださるのです。自分自身の力に頼るのではなく、全てを委ねていきましょう。

 

3.主に留まり続ける決意を持った

ルツと主なる神様との関係は、一時的なものではありませんでした。たとえ、ナオミがいなくなってしまったとしても、主に留まり続けるという決意を持ったのです。私たちの信仰生活は、信仰告白したら終わりではありません。そこからがスタートなのです。どんな時にも主に留まり続けていきましょう。

 

私たちも「あなたの神はわたしの神」と日々告白し、主に信頼していきましょう。主を信じる者は決して失望することがありません〈ロマ9:33〉。

2020.2.2.       ウェルカム礼拝   

 

レビ記26:40-46(P207)       「悔い改め」

 

▽神は、罪を犯した人がその罪を悔い改めるなら、赦し、回復してくださる。

 

罪人であることを認める 〈40〉

▽「告白する」のヘブル語の原意は「投げる」で、自分の心の中にあるすべての罪をすべて徹底して投げ捨てることを意味している。

・「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義から私たちを清めてくださいます」〈Ⅰヨハ1:9〉。

▽ダビデは姦淫の罪を認め正直に告白した。「あなたに、あなたのみに私は罪を犯し、御目に悪事と見られることをしました」〈詩51:6〉。

 

へりくだり反省する 〈41〉

▽「心が打ち砕かれ(へりくだり)」のヘブル語は、「自ら謙遜になる」、「自らを低くする」という意味があり、まず、神の前にへりくだることが大切です。

▽神の前にへりくだり、反省し、自分の心をチェック(点検する)ことです。

・「神よ、どうか、私を探って、わが心を知り、私を試みて、わがもろもろの思いを知ってください」〈詩139:23。口語訳〉。

 

罪の罰を受け入れる 〈41〉

▽主は私たちを愛するが故に、罪を犯した者に罰を与え、悔い改めさせる。

・「霊の父は私たちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的で私たちを鍛えられるのです」〈ヘブ12:10〉。

・「あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます」〈ヘブ12:7〉。

常に自分の心をチェックし、悔い改めるべきは悔い改め、神と正しい関係を保つ。

2020.1.26.       礼 拝 

 

ルツ記1:1-7(P421)       「踏み出す一歩」

 

私たちが踏み出す一歩は、選択する一歩であるとも言うことができます。なぜなら、私たちの人生の歩みは選択の連続だからです。ルツの義理の母であるナオミも一歩を踏み出していきました。彼女はどのような一歩を踏み出したのでしょうか。また、私たちはどのような一歩を踏み出していくべきなのでしょうか。

 

1.人間的な一歩

ナオミたちの前には、大きな問題に立ちはだかっていました。それは、飢饉という問題です。「パンの家」という意味を持つベツレヘムにも飢饉が及んでいたことからも大規模な飢饉であったことでしょう。そのような中で彼女たちはモアブの野に向かって一歩を踏み出していきます。ただ、この一歩は、神様を信頼しない人間的な一歩でした。私たちもこのような一歩を踏み出してしまう時はありませんか。

 

2.主にすがる一歩

ナオミの苦難は、飢饉だけではありませんでした。その後、夫と息子たちの死という出来事が起こったのです。自分自身に何もなくなった時、彼女はもう一度主にすがるという選択をしたのです。この選択が回復へと繋がっていきました。ここでの一歩は、完全に主を信頼しての一歩ではなかったかもしれません。しかし、主はその一歩を覚え、祝福を与えてくださるのです。

 

主なる神様はどのような時にも私たちを見捨てることはありません。いつも養い続けてくださる主に信頼し、主にすがる一歩を踏み出していきましょう。

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