礼拝のお話し

2020.1.26.       礼 拝 

 

ルツ記1:1-7(P421)       「踏み出す一歩」

 

私たちが踏み出す一歩は、選択する一歩であるとも言うことができます。なぜなら、私たちの人生の歩みは選択の連続だからです。ルツの義理の母であるナオミも一歩を踏み出していきました。彼女はどのような一歩を踏み出したのでしょうか。また、私たちはどのような一歩を踏み出していくべきなのでしょうか。

 

1.人間的な一歩

ナオミたちの前には、大きな問題に立ちはだかっていました。それは、飢饉という問題です。「パンの家」という意味を持つベツレヘムにも飢饉が及んでいたことからも大規模な飢饉であったことでしょう。そのような中で彼女たちはモアブの野に向かって一歩を踏み出していきます。ただ、この一歩は、神様を信頼しない人間的な一歩でした。私たちもこのような一歩を踏み出してしまう時はありませんか。

 

2.主にすがる一歩

ナオミの苦難は、飢饉だけではありませんでした。その後、夫と息子たちの死という出来事が起こったのです。自分自身に何もなくなった時、彼女はもう一度主にすがるという選択をしたのです。この選択が回復へと繋がっていきました。ここでの一歩は、完全に主を信頼しての一歩ではなかったかもしれません。しかし、主はその一歩を覚え、祝福を与えてくださるのです。

 

主なる神様はどのような時にも私たちを見捨てることはありません。いつも養い続けてくださる主に信頼し、主にすがる一歩を踏み出していきましょう。

2020.1.19.       礼 拝 

 

ルカ福音書24:44-49(P161)       「聖霊に満たされよう」

 

みことばを守り行う

▽主イエスは昇天される前に「あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を受ける」〈使1:5〉と約束され、それを「待ち望み」〈使1:4〉、その「力に覆われる(着せられる)までは、都にとどまっていなさい」〈49〉と命じられた。

▽弟子たちは主の教えを守り、その時を待ち望んでいた。そして、ついにその時(ペンテコステの日)が来て、主イエスの約束〈49〉が成就した〈使2:1-4〉。

聖霊に満たされるためには、みことばを信じ、守り、行うことが大切です

 

渇き求めた

▽主は谷川の流れを慕う鹿のように、渇きをいやされることを待ち望む人を探しておられる。あなたも渇いたままで主イエスのもとへ行こう。

▽主イエスは「渇いている人は誰でも、私の所に来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生ける水が川となって流れ出るようになる」〈ヨハ7:37-38〉と約束された。(生ける水とは聖霊)

あなたも生ける水に渇いているなら、イエスの元へ行き、飲ませていただこう。

 

力に満たされる

▽聖霊に満たされるとは「高い所から力に覆われる(着せられる)」ことです。復活の主は弟子たちに息を吹きかけ「聖霊を受けよ」と命じた〈ヨハ20:22〉。

▽それは、神のための力、福音宣教に必要な聖霊の力に満たされ、神のために役立つ者と変えられる。(ペンテコステの日ペトロ―→3千人の救霊)

主イエスも言われた「主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ、知らせるために、主が私に油を注がれたからである」〈ルカ4:18、イザ61:1〉。

2020.1.12.       礼 拝 

 

創世記32:23-33(P56)       「主と向き合う」

 

恐れの中にいたヤコブは一つの出来事を通して大きく変えられました。それは、ヤボクの渡しで主と向き合ったということでした。私たちも主と向き合う必要があるのです。恐れる時、主はどのように働いてくださるのでしょうか。

 

1.祈りへと導いてくださる

ヤコブは自分自身から祈ったことはありませんでした。自分の力だけでどうにかしようとしていたのです。そんな彼に主は近づいてきてくださるのです。私たちはどのように祈ったら良いのかと迷ってしまうことがあります。しかし、今のありのままを訴えたら良いのです。主は全てを受け止めてくださいます。

 

2.委ねることを教えてくださる

腿の関節を打たれることは、自分自身を支えているものがなくなるということでした。それは、ヤコブ自身が自分では何もすることができないと知るためでした。私たちの力には限界があります。けれども、主は弱さの中に働いてくださいます。その鍵は私たちが主に委ね続けることです。

 

3.新しい歩みを始めさせてくださる

ヤコブはここでイスラエルという新しい名前が与えられています。今までの古い自分ではなく、新しく主に勝利を与えられた者として歩むことができるのです。私たちの周りにはどうすることもできない問題があります。ですが、恐れることはありません。主は全ての中で働かれ、勝利をすでに与えてくださっているからです。

 

私たちは恐れてしまうことがよくあります。しかし、そんな時にこそまず主と向き合う者となりたいのです。主と共に日々前進する者となりましょう。

2020.1.5.       聖 餐 式 礼 拝   

 

イザヤ書6:8(P1070)       「私を遣わしてください」

 

▽イザヤは、預言者として神に召された。

誰を遣わそうか

▽主は、キリストの福音の証人として立ち上り、出ていく人を求めておられる。

▽しかし、主は働き人がいないので嘆いておられる。

「この世を滅ぼすことがないように、私は、わが前に石垣を築き、石垣の破れ口に立つ者を彼らの中から探し求めたが、見いだすことができなかった」〈エゼ22:30〉。 門真キリスト教会はどうだろうか?

・「破れ口」とは、背信の罪のため永遠の滅びに至る入口に立つ人々。

福音宣教は主イエスの至上命令です。〈マル16:15〉

 

私を遣わしてください

▽イザヤは、神の召しを聞いた時、「私がここにおります。私を遣わしてください」とその場ですぐ従った――行動する。

▽ペトロとヨハネも主の召しに答えて立ち上り、迫害にもくじけないで、「イエスがキリストである」ことを大胆に証しした。

「ほかのだれによっても、救いは得られません。私たちが救われるべき  名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていない」〈使4:12〉。

▽人々は、二人の「大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って」驚いた〈使4:13〉。

▽二人にそれができたのは「イエスと一緒にいた者」だったからです〈使4:13〉。

最も大切なことは「イエスと一緒にいた者である」ことです。私たちも主の証人として、いつもイエスと共にいる生活を心がけよう!

2019.12.29.       礼 拝   

 

ネヘミヤ記4:10-11(P744)P       「失望から立ち上がる」

 

なぜ失望するのか

①疲労 〈4〉

・「高さの半分まで築いた」〈3:38〉。道半ばになるとマンネリ化することに注意。

・妨害する人や重労働によって、心身共に疲れ果てた。

疲労は失望の原因となる。疲れたなと思ったら休もう(安息日)。

②挫折 〈4〉

・「わたしたちにはできません」。挫折の責任を他者のせいにしない〈5-6〉。

挫折は失望の原因となる。立ち止まり、見直そう。「どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めのころの行いに立ち戻れ」〈黙2:5〉。

③恐れ 〈5-6〉

・「彼らを打ち殺して、工事をやめさせよう」。人の批判、嘲笑、脅迫を恐れた。

恐れは失望の原因となる。恐れを感じたらそれを主に委ねよう。

 

失望から立ち上がるには

①心(気力)を立て直す 〈10-14〉

・より良いように、より速く、より効果が上がるように見直し、考え直す。

・何が足りないか、どこが間違っているか、など。

②主に目を向ける 〈14〉

・助け主である主を見上げ、過去の恵みの数々を思い出す。

・助け主である主、インマヌエルなる主が共にいてくださるという現実。

③現実に立ち向かう 〈8〉

・「敵を恐れるな。偉大にして畏るべき主の御名を唱えて」家族のため戦え。

「あなたたちの先を進むのは主であり、しんがりを守るのもイスラエルの神だから」〈イザ52:12〉。

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