礼拝のお話し

2020.9.20.     礼 拝   

 

エフェソ書2:19-22     「私たちは神の家族」

 

聖書は教会を「神の家族」であると表現しています。私たちは生まれた場所も育ってきた環境も異なっています。しかし、イエス・キリストはそんな私たちを一つの家族とされたのです。神の家族とはどのようなものなのでしょうか。

1.互いに励まし合う

励まし合うことは、単に言葉を発すれば良いというものではありません。「励ます」と訳されている言葉には、「傍らに呼ぶ」という意味もあります。つまり、相手を見て、相手に寄り添うことなのです。一人だけで信仰生活を全うすることはできません。励まし合うことのできる兄弟姉妹が与えられていることを感謝しましょう。

2.互いに仕え合う

私たちはそれぞれが違う人として造られました。得意な分野と苦手な分野も当然のようにあります。しかし、時に周りの兄弟姉妹と比べてしまうこともあるのです。主は一人一人に賜物を与えられています。ないものを見て落ち込むのではなく、あるものを大いに用いていきたいのです。そして日々、神と人とに仕えていきましょう。

3.互いに祈り合う

自分自身のために祈ることも大切ですが、同時にとりなして祈ることも大切です。使徒パウロは人々のためによく祈る人でした。そんな彼も「私(私たち)のために祈ってほしい」とくり返して呼びかけているのです。あなたの祈りを必要としている人がいます。祈り、祈られる者となりましょう。

私たちは「互いに」ということを大切にしたいのです。あなたが兄弟姉妹のためにできることは何ですか。キリストにおいて組み合わされて成長していきましょう。

2020.9.13.     礼 拝   

 

黙示録21:21(P478)     「真珠の門」

 

開かれた門

▽「城門を開け、神に従い、信仰を守る民が入れるように」〈イザ26:2〉。

▽真珠は贖いの象徴です。真珠は身に傷をつけられることによって出る分泌物が強められることによって生じるものです。これは

▽罪のない神の御子イエスが十字架に釘づけされた傷による贖いによって、信じる者が救われるからです。「彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、(中略)、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」〈イザ53:5〉

 

神の民だけの門

▽〈21〉12の門は12の真珠でできている。「12」は、イスラエル12部族のことであるとともに、全世界の神の民(クリスチャン)を表わす数です。

▽天上のエルサレム(神の国)は、12という数で支配されている。なぜなら〈イザ33:24〉そこは贖われた人々の住む所だから。「都に住む民は罪を赦される」

▽「小羊の命の書に名が書いてある者だけでが入れる」〈黙21:27〉とある。「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」〈ヨハ10:11〉

 

すべての方面に向かって開かれている

▽「東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった〈黙21:13〉。それは救いがすべての人のためにあることを示す。

▽地の四方角にそれぞれ三つの門がある。「地の果てのすべての人々よ、わたしを仰いで、救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない」〈イザ45:22〉。

▽「罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです」〈エフェ2:5〉。あなたの真珠の門から入ろう。

2020.9.6.     ウェルカム礼拝   

 

マルコ福音書2:13-17(P64)     「わたしに従いなさい」

 

アルファイの子レビは、イエス・キリストとの出会いを通して人生が大きく変わりました。それは、彼を招き、彼が応答したことから始まっていきました。私たち一人一人も招かれている存在です。イエス・キリストはどのように働いてくださるのでしょうか。

 

1.目を留めてくださる

レビを見かけた時、そこにはたくさんの人たちが集まっていました。彼も大勢の中の一人と言える状況だったのです。しかし、彼に目を留められました。これは偶然ではありません。イエス・キリストにとって一人一人が大切な存在であり、いつも変わることなく目を留めてくださるのです。

 

2.声をかけてくださる

レビは徴税人という仕事をしていました。誰もが関わりたくないと思うぐらいに当時のユダヤ人社会では軽蔑された職業だったのです。そんな彼にイエス・キリストは「わたしに従いなさい」〈14〉と声をかけられました。私たちは自分自身で様々な条件を付けてしまいます。けれども、この言葉に応答するのに条件や資格は必要ないのです。

 

3.新しい歩みを始めさせてくださる

全ての人が例外なく罪を持って生きています。どれだけ努力をしたとしても自分自身の力では抜け出すことができないものなのです。イエス・キリストだけが罪から解放することができます。そして、罪を「後悔」させるのではなく、「悔い改め」させるのです。イエス・キリストとの交わりを通して新しい歩みが始まっていくのです。

 

イエス・キリストは全ての人を招いておられます。今日、あなたも「わたしに従いなさい」という招きに応答し、立ち上がりませんか。

2020.8.30.     礼 拝   

 

歴代誌下20:17(P696)     「視点を変える」

 

ヨシャファト王は、大軍が攻めて来ているとの情報を聞いて恐れました〈1-3〉。しかし、この恐れがきっかけとなって彼らは勝利へと導かれていきます。それは、彼らが恐れの中で視点を変えたからです。

 

1.神を呼び求める

恐れの中で彼らがまずしたことは、神を呼び求めることでした。そのために、ユダのすべての町から集まって来たのです〈4〉。問題が起こった時、私たちは問題を解決するために、あらゆる方法を考えて行動します。しかし、私たちにはすでに最高の方法が与えられています。神を呼び求めることから解決への道が始まっていくのです。

 

2.神の言葉を受け取る

彼らの恐れの原因は、自分たちの力でどうすることもできない状況が迫っていたことです。そんな中で神はたくさんの励ましの言葉をかけてくださったのです〈17〉。この言葉に力づけられて、一人一人が立ち上がることができました。神は他の誰かにではなく、あなたに今必要な言葉を語りかけてくださいます。

 

3.神の守りを体験する

目に見える状況は、今までとは何も変わってはいません。けれども、彼らが神を賛美しつつ、立ち上がる時に勝利が与えられたのです。また、ヨシャファト王の治世の間、守りが与えられ続けたのです。神は私たちの知識や常識を超えて働かれます。このことは、彼らだけではなく、今を生きている私たちも体験することができるのです。

 

恐れの時は、私たちが視点を変えるチャンスです。問題ばかりに目を留めるのではなく、一歩立ち止まって、主なる神様に目を向けていきましょう。

2020.8.23.     礼 拝   

 

サムエル記上30:1-6(P477)     「主によって力を奮い起こす」

 

▽〈1-3〉ダビデと兵士たちが、ツィクラグ(居住地)に戻ってみると、アマレク人によって町は火で焼かれ、家族も財産も奪い去られていた。

▽〈4〉ダビデも兵士たちも泣く力がなくなるほどショックを受け、兵士たちは、ダビデを石で打ち殺そうと言い出した〈6〉。

 

主によって力を奮い起こした 〈6〉

▽ダビデはすべてのものを失い、すべての助けが取り去られた時、主なる神を見上げることにより、「主によって」、新たな力を得た。

「目を上げて、私は山々を仰ぐ。私の助けはどこから来るのか。私の助けは来る、天地を造られた主のもとから」〈詩121:1、2〉。

 

現実を受け止めた 〈6〉

▽ダビデは目の前の現実から逃げないで、それをしっかりと受け止めた。

▽ダビデは洞穴にいた時〈詩142:1〉、「目を注いで御覧ください。右に立ってくれる友もなく、逃げ場は失われ、命を助けようとしてくれる人もありません」と告白している〈詩142:5〉。

目の前の苦難から逃げても、解決されることはありません、しっかりと踏み留まり、目の前の問題に立ち向かいましょう。

 

主に訴える 〈8〉

▽「ダビデでは主に託宣を求めた」。この時、ダビデはどうすればよいのか、主のみこころ(ご計画)を求めた。

▽問題の解決を自分で何とかしようとするのではなく、主のみこころに従おうとした。これが絶対間違いのない方法だから。

「悩みの日に私を呼べ、私はあなたを助けよう」〈詩50:15〉口語訳。

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