聖書のメッセージ

2020.11.22.     礼 拝   

 

ヤコブ書5:7-8(P426)     「忍耐と祈り」

 

秋の雨と春の雨

▽秋の雨(前の雨)は、10月の終わりから12月に降る種まきに備えるための雨。春の雨(後の雨)は、4月頃に降り始める収穫に備えるための雨。

▽4月頃から始まり10月頃まで続く長い乾期には、農夫は忍耐しながら秋の雨と春の雨が降るのを待ち望む〈7〉。

▽ダビデは、このことを思い起こして「わたしの魂はあなたを渇き求めます。わたしの体は乾ききった大地のように衰え、渇き果てています」と告白〈詩63:2〉。

 

教会時代

▽教会の誕生日であるペンテコステは、秋の雨の降り始めです。そして、今、私たちは収穫のための春の雨であるキリストの再臨を待ち望んでいます。

▽ペンテコステの日に、ペトロは〈ヨエル3:1-5〉の預言を引用して「神は言われる。終わりの時に、私の霊をすべての人に注ぐ」〈使2:17〉と語った。

▽主は一人でも多くの魂が救われることを願い、忍耐して再臨を延ばしておられる。私たちも心を強くし忍耐をして、主の再臨を待ち望もう。

 

主の約束

▽主イエスは、くり返し再臨のことを予告され、それが近づいている証拠として、「もっと偉大なことを見る」〈ヨハ1:50〉と言われ、数々のみ業をなされた。

▽今の様々な状況は、イエスの言われたとおり、春の雨が近づいていることを示している。「主が来られる時が迫っているからです」〈8〉。

パウロは「どうか、主が、あなたがたに神の愛とキリストの忍耐とを深く悟らせてくださるように」〈Ⅱテサ3:5〉と祈っている。「然り、私はすぐに来る」〈黙22:20〉。

2020.11.15.     礼 拝   

 

列王記下5:9-14(P584)     「あなたの握っているものは?」

 

アラムの王の軍司令官ナアマンは、勇士とも呼ばれ、主君にも重んじられた有力な人でした。しかし、重い皮膚病を患っているという弱さも抱えていました。そんな彼に主は恵みを備えておられました。彼はどのようにして主の恵みを体験したのでしょうか。

1.一歩を踏み出す

彼が預言者エリシャのところへ出かけて行ったのは、イスラエルから連れてこられていた一人の少女の言葉がきっかけでした〈3〉。一見すると偶然のようにも思えることですが、主はすでに働かれているのです。彼が一歩を踏み出すことができるようにと整えてくださるのです。主はいつも私たちを導いてくださいます。

2.主の言葉を受け取る

エリシャは使いの者を通して彼に「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい」〈10〉と伝えました。なぜこのように言うことができたのでしょうか。主は私たちの状況を全て知っておられるからです。その中で必要なことを教えてくださるのです。主は必要な時に最善の言葉を与えてくださいます。あなたに語られている主の言葉を受け取りましょう。

3.握っているものを手放す 

「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい」という言葉は難しい命令ではありませんでしたが、すぐに従うことができませんでした。それは、彼自身の握っているものが邪魔をしたからです。しかし、改めて言葉どおりに下って行った時、彼は清められたのです〈14〉。私たちが握っているものを手放すならば、そこには主の恵みがあふれるのです。

あなたが今握っているものは何でしょうか。今日、握っているものを手放し、あなたのために備えられている主の恵みを体験しましょう。

2020.11.8.     礼 拝   

 

創世記3:6-7(P4)     「いちじくの葉の衣」

 

着物を着るのは人間だけ

▽なぜ人間だけが着物を着るのだろうか。それは腰(性器)を覆い隠すためです。なぜ、そうなったのでしょうか。

▽アダムとエバは罪を犯すまで、お互いに裸が恥ずかしくなかった〈2:25〉。それは、二人が神の創造の摂理に従い、きよい性関係をもっていたから。

▽しかし、罪を犯した後は、神の恵みが取り去られ、欲望のままに生きるようになりました。「肉の欲望の赴くままに生活し」〈エフェ2:3〉とあるとおりです。

 

いちじくの葉の衣

▽アダムとエバは、サタンの誘惑に敗け、神のようになることを求めて、禁断の木の実を食べました。その結果、人間は自分を制御できなくなった。

▽二人は慌てていちじくの葉で腰を覆いました。いちじくの葉は、自力で罪と恥を覆っても、自分で自分の罪を救うことができないことを示しています。

▽聖なる神の御前では、自分の言い訳や偽善でごまかすことはできません。旧約時代にくり返し行われた「いけにえの儀式」がそれを表しています。

 

皮の衣 

▽神は、いちじくの葉の衣の代わりに「皮の衣」を着せてくださった〈3:21〉。皮の衣は、神ご自身が造ってくださったもので、神の一方的恵みを示します。

▽皮の衣を造るためには、動物の犠牲の血が流されています。 「血を流すことなしには罪の赦しはありえない」〈ヘブ9:22〉〈レビ17:11〉。

新約時代になって、神の御子イエスが私たちの罪の身代わりとなって、十字架上で血を流してくださったことにより、あなたの罪は覆われました〈ロマ13:14〉。

「主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった」(ヨブ記38章1節)

 

ヨブは、自分の知らない理由ですべてのものを失い、自分自身も耐えられないような重い皮膚病で苦しみます。

彼を慰め励ましに来た友人たちは慰めるどころか、「お前がそんな目にあうのは、罪を犯したからだ」と言ってヨブを苦しめました。

友人から非難され、苦しむヨブは、神様にその答えを求めました。

口語訳聖書では、前記のみことばの前に「この時」と記されています。ヨブがその答えを直接神様に求めた時、神様は嵐の中からヨブに答えられたのです。

私たちは、自分ではどうすることもできないような人生の嵐に出会うことによって、自分の弱さ、自分の本当の姿に気づかされます。そしてそんな時にこそ神の語りかけを聞くことができるのです。

ヨブは自分のいきどおりを神様に訴えたのは、本当は神様によって毎日生かされていることに気づいていなかったからです。ヨブは自分の力で正しい生活をしているとうぬぼれてたので、神様はヨブは本当はどんな人間であるかを分からせるために、嵐の中から語られたのです。

神様は2節から「これは何者か」とヨブに答えておられますが、ヨブの苦しみの答えを語らず、答えにならない答えを持ってヨブに答えておられます。

私たちも人生の中で「なんで?」と思うようなことを体験しますが、それは本当の自分の姿を知り、それでもなお愛し、生かしてくださる神の愛に気づくためなのです。

2020.11.1.     ウェルカム礼拝   

 

マルコ福音書5:25-34(P70)     「人生が変わる一歩」

 

聖書には十二年間も出血が止まらない病気を抱えた一人の女性が出てきます。全財産を使って治療をしても治らず、苦しみ続けていたのです。そんな彼女がここで人生が変わる一歩を踏み出しました。ここから今までとは全く違う新しい歩みが始まったのです。

1.イエス・キリストのもとへ行く一歩

この選択は決して簡単にできることではありませんでした。なぜなら、彼女の状況は「穢(けが)れた者」とされていたからです。町に出入りすることすら禁じられていたのです。それでも勇気を出して一歩を踏み出しました。私たちは行動する前から様々なことを考えます。しかし、イエス・キリストはあなたのそのままを受け入れてくださるのです。

2.イエス・キリストに委ねる一歩

「この方の服にでも触れればいやしていただける」〈28〉と思い、彼女は手を伸ばしました。そこには期待だけではなく、疑いもあったかもしれません。完全に委ねるのは難しいことです。イエス・キリストはそんな私たちのことも知っていてくださいます。どんなに小さな期待であっても、そこから踏み出す一歩を必ず祝福してくださるのです。

3.イエス・キリストと共に歩む一歩

 イエス・キリストは彼女に「癒された」ではなく「あなたの信仰があなたを救った」〈34〉と言われました。彼女は様々なものから切り離された者でした。ここでその関係は回復されたのです。私たちはイエス・キリストによって真の自由を得ることができます。また、その後も共に歩んでくださり、祝福に満ちた歩みを与えてくださるのです。

イエス・キリストは、あなたの人生を祝福に満ちたものへと変えてくださいます。今日、人生が変わる一歩をあなたも踏み出してみませんか。

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