聖書のメッセージ

2021.4.18.     礼 拝   

 

イザヤ書43:19(P1131)     「新しいことをわたしは行う」

 

「見よ、新しいことをわたしは行う」〈19〉という主の言葉は、イスラエルにとって順風満帆な状況で語られたのではありません。先が見えず、希望すら見失ってしまった時に語られたのです。ここに私たちの揺るがない希望があります。

1.主から始まる

今の状況を変えようとする時、まず自分自身が行動しなければならないと考えるものです。しかし、主は「新しいことを『わたしは』行う」と言われたのです。新しいことは主から始まります。そして、私たちの常識では考えられないことが起こるのです。主に不可能なことは何一つありません。主の言葉を信じ、しっかりと握りましょう。

2.主はすでに働かれている

芽生えるという言葉は、芽が出始めていることを示しています。主は私たちが行動する前からすでに働かれているのです。私たちの人生は問題の連続です。主はその背後にあって働いてくださっているのです。苦しい時もあなたは一人ではありません。主は最も良い時に、最も良い方法で応えてくださいます。

3.主は前を向かせてくださる

困難な状況にある時、私たちは後ろ向きになってしまいます。主はそこから立ち上がらせてくださいます。そして、前を向かせてくださるのです。なぜなら、主はさらに素晴らしいことを行ってくださるからです。私たちは主にあって一歩を踏み出すことができます。新しいことを行われる主に日々期待し、主と共に進む者となりましょう。

「見よ、新しいことをわたしは行う」。この言葉は、私たちにも語られているのです。困難ばかりを見るのではなく、新しいことをなされる主に期待しましょう。

2021.4.11.     礼 拝   

 

マタイ9:9(P15)     「信仰の原点-わたしに従いなさい‐」

 

マタイは福音書を記す中で、自分自身の召命の出来事を振り返りました。とても短い言葉で書かれていますが、ここに彼がイエス様に従った原点があるのです。私たちは振り返ることが大切です。イエス様はマタイに対してどのように働いてくださったのでしょうか。

1.目を留めてくださる

イエス様とマタイとの出会いは、イエス様が彼を「見た」ところから始まりました。ただ、誰かからの目線を感じたとしても、彼には良い経験がなかったことでしょう。なぜなら、取税人であったために多くの人たちからの軽蔑の眼差しがあったからです。しかし、イエス様の眼差しは愛の眼差しでした。イエス様はまず愛をもって目を留められるのです。

2.声を書けてくださる

イエス様は「わたしに従いなさい」〈9〉という短い言葉を語られました。この言葉から彼の人生は変わったのです。ここまでの彼の人生は孤独でした。けれども、イエス様の言葉は、彼の抱えていた問題を全て解決したのです。主はあなたにも声をかけてくださる。語られるみことばをしっかりと握る者となりましょう。

3.立ち上がらせてくださる

イエス様の言葉を聞き、彼は立ち上がりました。しかし、この先の信仰生活が良いことばかりであった訳ではありません。他の弟子たちと同じように、イエス様を裏切るという大きな失敗もしてしまったのです。けれども、主はそんな彼を再び立ち上がらせました。福音を宣べ伝える者としてくださったのです。主は何度でも立ち上がらせてくださいます。

主はあなたに対してどのように働いてくださったでしょうか。それぞれの信仰の原点を振り返ってみましょう。そして、日々心を新たにして主に従っていきましょう。

2021.4.4.     イースター礼拝   

 

ヨハネ福音書20:1-10(P209)     「来て、見て、信じた」

 

イースターは死に勝利し、よみがえられたイエス様を喜ぶ日です。

イースターの朝に

十字架で死なれたイエス様は墓に葬られます。三日目の早朝、墓に行ったのは女性たちでした。大きな石が取り除かれ空っぽになった墓を見て、マリアはペトロとヨハネの所へ走って行きました。彼らは「主が墓から取り去られた」というマリアの言葉を聞いて墓へ向かいました〈3〉。

イエスは必ず復活されることになっているという聖書の言葉〈9〉は実現しました。

来て、見て、信じた

先に着いたヨハネは、墓の外から覗きました。遅れて来たペトロが墓の中に入ると、イエスの頭を包んでいた覆いと、離れたところにある亜麻布を見ました。後からヨハネが入って来て、見て、信じました〈8〉。ヨハネは覗き見ただけではなく、実際に自分も墓に入って見たことで信じることができました。

中途半端にではなく、積極的に行動することが必要でした。

信じるために

この箇所では、まだ復活の主にお会いしていません。弟子たちは行動によってマリアの言葉が真実だと知ることができました〈9〉。同じように私たちにも、信じるためには行動が必要です。聖書を読む、祈る、教会に行く、人の言葉に耳を傾ける…

「イエス様が私たちの罪のために死んでくださった」ことを信じることができるように、私たちも行動する者となりましょう。

父なる神様、私たちがあなたの恵みに生かされていることを感謝します。自ら行動し、更に祝福を得ることができるようにしてください。御名によって祈ります。アーメン。

2021.3.28.     礼 拝   

 

ルカ福音書17:5-6(P142)     「小さな信仰、大きな祝福」

 

「できるか」「できないか」ということは、私たちの中で重要な事柄の一つです。そのことを基準にして、周りの人たちと比べたり、物事を判断したりするからなのです。しかし、イエス様が注目されていたところは、私たちの考えとは別のところにありました。

1.主に目を向ける

使徒たちはなぜ「わたしどもの信仰を増してください」〈5〉と言ったのでしょうか。それは、できていない自分自身に目を向けたからです。問題を前にした時、私たちは自分自身を中心に物事を考えるのです。ただ、ここでイエス様は彼らに信仰の話をされました。大切なのは、できない自分自身を見ることではなく、まず主に目を向けることなのです。

2.主に信頼する

「桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』」〈6〉と言うことは決して簡単なことではありません。私たちの常識では「できない」と考えるからです。しかし、唯一「できる」鍵があります。主に信頼することです。不可能を可能にするのは、私たちの努力ではありません。主に信頼して一歩を踏み出すかどうかなのです。

3.主の祝福を受ける

私たちが一歩踏み出す時、主の祝福が待っています。「言うことを聞くであろう」〈6〉と書かれているように、結果が与えられるのです。私たちがするべきことは、主の祝福を受け取るだけなのです。主は私たちの信仰に応えてくださいます。「できる」「できない」という私たちの基準で考えるのではなく、主に期待し、主の祝福を受け取りましょう。

私たちの信仰は、風が吹くと簡単に飛んでいってしまうものかもしれません。しかし、そんな小さな信仰でも構わないのです。今日も主に信頼し、一歩を踏み出していきましょう。

2021.3.21.     礼 拝   

 

Ⅰヨハネ2:1-2(P441)     「弁護者イエス」

 

罪に対する敗北者

▽〈1〉ヨハネは「あなたがたが罪を犯さないようになるため」と言っていますが、〈ロマ3:23〉には「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっている」と。

▽パウロは「私は、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするから」。「私はなんと惨めな人間」かと。

▽私たちは、自分を正面から見つめる時、自分が罪に対して敗北者であることに気づきます。そして、この気づきは、クリスチャンとして、正しい自覚です。

 

サタンの妨げ

▽このことが分からなければ、十字架の意味も救いの意味も分かりません。そして、サタンは、この私たちの「正しい自覚」を悪用し、私たちを唆します。

▽「お前はもう神に見放された。神はそんなお前を赦すはずがない。もうお前は救われる望みがない」と。ルターもこのことで苦しんだと言われます。

▽サタンの目的は、私たちに罪を犯させるよりも、十字架に示された神の愛や赦しを疑わせ、神から離れさせることです。(エバを唆したサタン)。

 

弁護者イエス

▽神に背いて身を隠したアダムとエバに、神は「あなたはどこにいるのか」と尋ねます〈創3:9〉。これが罪人である私たちへの変わらない神の態度です。

▽ペトロが三度主を拒んだ時、主は憐れみと赦しの愛の眼差しをもって見つめられました。ペトロはそれが分かったから「外に出て激しく泣いた」〈ルカ22:62〉。

〈2〉。イエスは「全世界の罪を贖ういけにえ」となってくださったからこそ、いつも私たちの弁護者として、神の前に立ってくださっています。〈ヨハ17:16-18〉

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