「謙遜は信仰の母」
2012.8.19. 礼 拝
ルカ7:1-10(P114) 「謙遜は信仰の母」
Ⅰ.謙遜
▽ 百人隊長(異邦人)に対する長老たち(ユダヤ人)の評価〈4〉。その理由〈5〉。
・ユダヤ人に対する様々の親切の故、イエスに助けていただく資格がある。
▽ しかし、百人隊長は、イエスの前に自らを全く無にしました(真の謙遜)。*
・彼は自分の行い〈5〉を、何一つ誇ってはいません。
・罪人の自分はイエスの所へ行く資格も〈7〉、イエスに自分の所へ来ていただく資格もない〈6〉、只イエスの憐れみにすがる他ないという謙遜さ。
▽ 私たちが罪を悔い改め、救われ、新生できたのも全て一方的神の恵みです。礼拝、奉仕、献身は主の恵みへの応答であり、感謝であり、誇るものは何もない。
▽ 私たちに何か誇るものがあるとすれば、それは主イエスだけ(Ⅰコリント1:27:31)。
※ 謙遜とは、神の前に自分を全く無にすることです(ヤコブ4:6,10)。
Ⅱ.謙遜は信仰の母
▽ イエスは権威の源であり、万物を統(す)べ治める方(かた)(エフェソ1:20-23)。彼がイエスの所へ使者を遣わした理由は「イエスのひと言」をいただくため〈7〉。
▽ 彼は自分の体験から〈8〉、ましてや万物の支配者であるイエスの言葉は必ずそのとおりになると信仰の告白をしました。
・「神と私」との関係を自覚することによる謙遜が、イエスへのこのような全き信仰を生み出しました。このような信仰は、みことばに対する信頼と従順、そしてみことばに基づいた祈りとなって表われました〈7〉。
▽ イエスは彼の信仰に感動し、ほめてくださいました〈9〉。→(マタイ8:13)
※ あなたも主のみことばの力を信じ「主のひと言」を求めましょう(ローマ10:17)。