「聖霊によって知る」     野口友代師  

2025.10.19.     門真聖会 聖会Ⅰ

エフェソ3:18-19(P355)     「聖霊によって知る」

牢獄に捕えられていたパウロはエフェソの教会に手紙を書いています。パウロは「教会がキリストにある霊的祝福を受けるように、心の目が開かれて本当に理解できるように」と切に祈っています。では私たちは何を見えるようになり理解できるようになることを求められているのでしょうか。

1.キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さ

キリストの愛の「広さ」は、誰も排除しない、すべての人を招き入れるキリストの包容力を表します。「長さ」は永遠に続く私たちへのキリストの愛を、「高さ」は天の恵みにまで引き上げるキリストの愛を表します。そして「深さ」は人間の罪の奥底まで及ぶキリストの愛を表しています。

2.人の知識をはるかに超える愛

キリストの愛は人間の知識や知性ははるかに超える愛で、そもそも人間に十分に理解できません。しかし私たちにそれを「知る」ようになることを願われています。これは頭で理解することというより、体験としての理解を指しています。不思議なことに私たちは知性では理解しきれない神の愛を「体験する」ことができるのです。これは聖霊なる神の素晴らしい御業です。

3.すべての聖なる者たちと共に

キリストの愛は個人的な体験にとどまらず、教会とともに体験するものです。一人の中に注がれている神の愛は、誰かとともにいることで目に見えてくるようになります。私たちが互いに愛し合うことは、キリストの愛を兄弟姉妹たちとともに経験する素晴らしい恵みです。

私たちは聖霊なる神によって心の目を開かれて、教会とともに、人間の知識を超えるキリストの愛をさらに知ることができるように祈りましょう。