「心の目が開かれる」
2025.2.2. 礼 拝
ルカによる福音書24:30-32(P161) 「心の目が開かれる」
人間は、「見たいものしか見ない」とも言われます。エマオへ向かっていた二人の弟子は、復活の主が共にいたにも関わらず、分かりませんでした。二人の目が遮られていたからです〈16〉。主は、そんな彼らの内に働き、心の目を開かれるのです。
1.主の御言葉によって
彼らにとって、イエス様は希望でした。しかし、十字架や復活の出来事の後、希望は失望に変わるのです。「望みをかけていました」〈21〉と語るように、イエス様が過去の存在となってしまったのです。主は、彼らに御言葉を示し、改めて教えられました。御言葉には、私たちを再び立ち上がらせる力があります。どんな時にも主の御言葉に戻りましょう。
2.主と出会うことによって
問私たちは、知識だけではなく、いつも主と出会うことが大切です。主は、彼らに御言葉を説明されただけではなく、共に食事をされました〈30〉。そこには、交わりがありました。同じように、主は、私たちを礼拝へと招かれます。礼拝は、私たちが一方的にささげるものではなく、主との交わりなのです。いつも期待をもって主に礼拝をささげましょう。
3.主と歩み続けることによって
主との交わりの中で彼らの目は開かれました〈31〉。そして、エルサレムに戻ることを選択するのです。彼らのエマオへ向かう道の歩みは、失望で暗い状況でした。しかし、エルサレムへ戻る道の歩みは、喜びに溢れた状況なのです。なぜなら、彼らは、主を見続けていたからです。主は、いつも変わらず、私たちと共に歩み続けてくださいます。
心の目が開かれた時、彼らは主によって心が燃やされ続けていることを知りました。どんな時にも主を見上げ、主と共に日々新しく進んで行く者とならせていただきましょう。