「弱さを覚える時」
2024.11.24. 礼 拝
列王記上19:1-18(P565) 「弱さを覚える時」
エリヤは、預言者の中の預言者とも言われる人物です。力強く信仰を握り、進み続けてきました。ただ、ここでは「主よ、もう十分です。」〈4〉と自分の命が絶えるのを願っているのです。弱さを覚える時、私たちはどのように歩んでいったら良いのでしょうか。
1.主の恵みに目を留めよう
主は、えにしだの木の下で眠っているエリヤに「起きて食べよ。」〈5〉と語られます。主が養ってくださるという経験は、初めてのことではありませんでした。ここに預言者としての原点がありました。主は、私たちに恵みを思い起こさせてくださいます。今、おかれている状況ばかりに目を留めるのではなく、主の恵みに目を留めましょう。
2.主に祈ろう
主は、全てのことを知っておられます。その上で「エリヤよ、ここで何をしているのか。」〈9、13〉と語られるのです。それは、彼の口から出る言葉に耳を傾けるためでした。ただ、彼の口から出てくるのは、愚痴の連続でした。それでも、主は全てを受け止め、聞いてくださるのです。あなたのそのままの思いを素直に主に打ち明けましょう。
3.主によって立ち上がろう
エリヤは、預言者としての働きを放棄しようとしました。主は、そんな彼を諦めることはありませんでした。一つ一つを整え、再び働きへと召されるのです。主は、私たちを励ましてくださいます。助け手を備えてくださいます。また、何よりも主が共にいてくださるのです。主の励ましを受け取り、立ち上がる力をいただきましょう。
私たちの信仰も人生と同じように山あり谷ありです。主は、どんな時にもあなたと共におられ、歩幅を合わせて歩んでくださいます。今日も主の愛に生きる者となりましょう。