「希望を見出す」
2024.9.1. 礼 拝
哀歌3:18(P1289) 「希望を見出す」
哀歌の作者は、絶望のどん底にいました。それは、「わたしの生きる力は絶えた」と嘆くほどでした。しかし、何もなくなった時、彼は、「ただ主を待ち望もう」と告白したのです。主は、私たちの嘆きを賛美に変え、回復を与えてくださるのです。ここに希望があります。
1.主は知っていてくださる
私たちの人生は、良いことばかりではありません。その中には、心の痛みや傷になるものもあるでしょう。この時のイスラエルの現状は、哀歌の作者にとって大きな苦しみでした。主は、そんな私たちを知っていてくださいます。そして、慰め、励ましてくださるのです。どんな時にも主を待ち望み、主に信頼する者となりましょう。
2.主は恵みを注いでくださる
私たちの周りにあるものは、どれも限界があります。しかし、「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。」〈22〉のです。このことは、何があったとしても変わることがありません。たとえ、私たちの目の前に問題があったとしても、そこにも主の恵みがあります。当たり前ではない主の恵みを日々感謝し、受け取りましょう。
3.主は共に歩み続けてくださる
イスラエルの民たちは、様々なものを失いました。それでも一つだけ変わらないことがあります。「主こそわたしの受ける分」〈24〉であることです。主は、彼らを守り、助け、養い続けてくださいました。また、いつも共に歩み続けてくださったのです。おかれている状況を見て諦めるのではなく、今日も働かれる主に全てを委ねていきましょう。
私たちは、今日も「わたしは主を待ち望む」と告白したいのです。主は、いつも変わらずにあなたのために働かれます。主が与えてくださる恵みを余すことなく受け取りましょう。