「朽ちない冠を得るために」 2023年11月
あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。(Ⅰコリント9:24-25)
秋といえば、運動会のシーズンです。最近では、春(5月、6月)に開催する学校園も増えてきましたが、私の世代では、まだまだ運動会は秋のイメージがあります。
先日、娘が通っているこども園でも運動参観が行われました。体操やかけっこなど、一生懸命に頑張っている子どもたちの姿を見ながら、見ている保護者の方も笑顔になる時でした。運動参観が終わった後、一人ひとりが担任の先生からメダルをかけてもらい、娘もそのメダルをかけながらずっと誇らしそうな表情をしていたのがとても印象的でした。
新約聖書の中には、メダルの話は出てきませんが、冠の話は出てきます。古代ギリシャの社会では、スポーツなどで優秀な成績を残した者をたたえるため、月桂樹の葉の付いた枝をリング状に編んだ冠が送られていたからです。
使徒パウロは、私たちの信仰の歩みを競技と例えました。そして、走るべき道のりを走り、節制するようにと勧めました。このことは、神に対して忠実にあるようにということでした。この世で得ることができる冠は、朽ちていきます。そして、いつかは無くなってしまうなのです。しかし、天国で得ることができる冠は、決して朽ちることがないのです。
私たちには、天国で朽ちない冠が備えられています。そのために、一日一日を大切にし、神に忠実な者として歩んでいきたいのです。自分自身の生活をチェックし、信仰の歩みを進んで行きましょう。
門真キリスト教会 主任牧師 濵崎 恵太