「握っているものを手放す」 2023年2月

ナアマンは神の人の言葉どおりに下って行って、ヨルダンに七度身を浸した。彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになり、清くなった。(列王記下5:14)

 

聖書には、たくさんの言葉が書かれています。その中でも「恵み」という言葉は、何度も繰り返し使われている言葉の一つです。聖書全体(旧約聖書・新約聖書)で160回以上も使われているのです。その他にも同じような意味をもって訳されている「憐れみ」や「慈しみ」も含めると、膨大な数になってきます。それほど、聖書の御言葉は、私たちに「恵み」を語ろうとしていると言えるのです。

恵みは、主なる神様の人間に対する愛の思いであって、それに基づく働きかけです。また、受けるに値しない私たちに向けられているものなのです。つまりは、私たちが何かをしたから与えられるものではないのです。

聖書の御言葉を見てみると、多くの人たちがこの恵みを体験しています。ナアマンもその一人でした。彼は、勇士であり、誰からも尊敬されるような人でした。しかし、重い皮膚病を患っているという弱さも同時に抱えていました。そんな彼が、癒しを求めて、預言者エリシャのもとにやって来たのです。ただ、エリシャの答えは、「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい」というものでした。その言葉を聞いた時、彼は憤慨しました。それは、彼が握っていたもの(常識やプライド)が邪魔をしたからです。その後、彼は、家来たちに説得され、言葉通りに従おうと決心し、行動していきます。その時に、彼は癒されたのです。彼自身が握っていたものを手放した時、そこで主の恵みを体験したのです。

あなたが今握っているものは何でしょうか。それは、あなたが主の恵みを受け取ることを邪魔してしまっているものであるかもしれません。聖書に書かれている人たちだけではなく、私たちも主の恵みを体験することができるのです。主なる神様に全てを任せて、あなたに与えられている恵みを受け取りませんか。

門真キリスト教会 主任牧師 濵崎 恵太