2011.12.11 マルコ6:45~52 「本質を見抜くために」

2011.12.11. 礼 拝

マルコ6:45~52 「本質を見抜くために」

 

Ⅰ.問題の本質を見抜けない

・弟子たちは問題のただ中にいた。逆風の前に漕ぎ悩み、疲れていた。不安。

・イエス様が湖の上を歩いてくる姿を見て、パニックに陥る。

・自分の経験に頼っている。非常識なことが起こったから。

・目の前の問題に心奪われる。

◎自分の力に頼ると問題の表面しか見えない。

Ⅱ.見抜くために祈る

・祈りとは、霊的コミュニケーション。

・神なる霊と私の霊との交わり(関わり)。

・目の前にある問題が問題ではない。そこには原因がある。弟子たちは見抜けなかった。

「人が水の上を歩いている」=常識を超えた出来事=幽霊に結びつけた。

・イエス様は欠かさず祈っていた。霊的な交わり。御心を知る。神の力。

そのため、いつも問題の本質を見抜いていた。

病人の癒し。罪人との食事を共にすること。イエス様に対する人々の批判。

・祈りの大切さを頭では分かっていながら、体験的に忘れてしまう。

◎祈るための時間を取りましょう。<フィリピ1:9~10>

 

Ⅲ.静けさの中に主を求め、主を知る

・霊的な面での休息を。神様の前に静まる。問題を横に置いて。

・神の偉大さ。全能者の前に、ありのままの自分、無力な自分を置く。

・神の愛。計り知ることのできない、深い愛。憩いの場。

・神の平安。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」<50>

◎静まり主を知りましょう<詩編46:11口語訳>