2021年2月 第458号 「試練」

試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。(ヤコブの手紙 1章12節)

 

 今年は新年早々大雪で、車が何十台も動けなくなったり、除雪作業中に亡くなる人がでています。また、コロナウイルスに感染して亡くなる人もいます。コロナウイルスのまん延もいつ終息するのか先行きが見えない情況です。

 人生には試練がついてまわりますが、聖書は、試練を父親の愛の鞭だといっています。

 「主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます」(ヘブライ12・6-7)。

自分自身の四十年を越える信仰生活を振り返ってみても、順境の時よりも逆境の方が信仰が鍛えられ、成長していることが分かります。

「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです」(ヘブ12・11)とあるとおりです。

イエス様の地上での人としての生涯をみても、正に試練によって始まり、試練によって閉じられています。しかし、イエス様のご生涯は惨めで悲惨なものではなく、神の御子として喜びと平和に輝くご生涯でした。だから

「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16・33)。と宣言されているのです。