「光の中を歩む」

2020.7.12.     礼 拝   

 

Ⅰヨハネ1:5-10(P441)     「光の中を歩む」

 

光の中を歩む

▽〈7〉私たちが神の光の中を「光の子」として歩むためには、闇の中から出る(罪を解決すること)が必要です。イエスはそのために命を捨ててくださった。

▽罪を犯したアダムとエバは、神から身を隠しました〈創3:8〉。それが罪人である人間の共通の態度です。神は「あなたはどこにいるのか」と問う〈創3:9〉。

▽たとえ刑法にふれる罪を犯さなくても、神の臨在にふれると、ペトロのように「主よ、私から離れてください。私は罪深い者です」と叫ぶ〈ルカ5:8〉。

 

イエスの血の力

▽私たちが自分で払うことのできない罪の代価を、父なる神は、私たちに代わって、御子イエスが十字架の上で払うようにしてくださった。

▽御子イエスによって、罪を完全に処理していただいた私たちは、父なる神との交わりが回復され、今は光の中を歩む者とされている〈7〉。

▽イエスが再臨なさる時、私たちは「栄光から栄光へと、主と同じ姿に造り変えられ」〈Ⅱコリ3:18〉、光輝く神の御国に入ることが赦される〈2:28〉。

 

罪との格闘

▽罪が赦されたとは言え、私たちはまだ完全な者とはなっていません〈8〉。私たちは、二度と罪を犯さないことはなく、失敗もし、罪を犯しもします。

▽そんな時、「自分は救われないのでは?」と不安になる。しかし、一旦、神の子とされたのだから、罪を悔い改めると、神の子であることに変わりはない。

 「義認」と「聖化」とは別です。義認は一度ですが、聖化は聖霊によって、徐々になされていくことを自覚しましょう。〈3:2-3〉