2020年2月 第446号 「もう泣かなくともよい」
イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。(ルカによる福音書7章12-13節)
イエス様の恵みを体験し喜んでいる人々、イエス様の恵みを求めてついて行く人々、死者を葬るための葬列と出会う、ナインの町の情景は、この世の情景の縮図です。
イエス様は、一人息子が死んで悲しみのどん底にあるやもめの母親を見て、「憐れに思い=断腸の思い」をもたれました。彼女は夫に先立たれ、杖とも柱とも頼んでいた一人息子にも先立たれました。どんな気持ちであったか。
イエス様は、この母親の苦痛をわがことのように共感されて、「もう泣かなくともよい」と言われました。この言葉の意味は、「私があなたの悲しみの原因を取り除いてあげるから、もう泣くことはありませんよ」ということです。イエス様はあなたの涙の原因、涙の意味をすべてご存知であるだけでなく、それを解決してくださる愛と憐れみの方なのです。そして
イエス様は死者に触れると汚れると禁じられている律法(民19・11)をあえて越えて、棺に触れ、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われ、息子を生き返らせて母親にお返しになりました(同14-15節)。
イエス様は、私たち一人一人の罪を贖うため十字架に死んで葬られ、三日目に墓からよみがえられただけでなく、イエス様を信じる人を復活させ、永遠の命を与えてくださるのです。