「陶器師の業」

2019.7.21.       礼 拝   

 

エレミヤ書18:1-12(P1210)       「陶器師の業」

 

見よ、粘土が陶工の手の中にあるように、イスラエルの家よ、お前たちはわたしの手の中にある〈6〉。

 

エレミヤへの言葉

神様は預言者エレミヤを通して、イスラエルの民に神の民としての正しい歩みを望みました。しかし、民は異教の神々を礼拝し、神を畏れることから離れています。エレミヤは陶工の家へ行き〈2〉例えを用いて表された神様の言葉を聞きます。

正しい歩みの恵みは明確ですが、民の心は廃れました。

 

思い直される神様

粘土が陶工の手の業をもって器として造られることは、神様が私たち人間をつくられることを表しています。器は陶工の意思が反映されるモノです。納得がいかなければ、元の粘土に戻し、再度造りなおされます〈8、10〉。陶工の業は、造りなおすことも含まれるからです。

私たちは神様の御心を反映して生きているでしょうか? 神様は、思い直されるお方です。

 

陶工の手の中にある

器は、形成され、塗料を塗り、窯で焼かれ、冷やされて完成します。陶工の手の中にある間、器には常に変化があるのです。それは一度ではありません。同じように、私たちは手をかけられ、目をかけられ、成長を望まれています〈11〉。

失敗しても成長させてくださる神様を信頼しましょう!

 

お祈り 天にいます父なる神様、御名を崇めます!人生は神様に与えられたものです。導いてくださる神様に信頼して、行動することができるように私をつくり変えてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン