「欠けているもの」
2018.11.4. 伝 道 礼 拝
ルカ18:18-27(P144) 「欠けているもの」
聞いた人々が「それではだれが救われるのだろうか」と言うと〈26〉
人生の目的
子どもが夢を語る時、中高生が自分を語る時、社会に出る寸前の若者が未来を語る時…いつも同じ人もいれば、少しずつ違うモノをイメージするようになる。大人になると近い未来を想像する。今日の箇所で議員が語った目的「永遠の命を得る」ことは悪いものではない。しかし彼はイエス様の返答を聞いて非常に悲しんだ〈23〉。
本当に必要なものを彼は理解できなかった。
議員の目的
議員はどんな生活を送るのか?国や社会のために良い働きをする、頭良く、お金持ちで人望も厚い…素晴らしい人。この人がイエス様のところに来た目的は、「良いモノはすべて欲しい」という自己満足〈18〉。良いと言われることはすでに行っているという慢心〈20、21〉。しかし、イエス様の答えは受け入れ難かった〈22〉。
彼の求めた欠けとイエス様の欠けは、違うモノ。
人々の反応
このいきさつを見ていた人々は「だれが救われるのだろうか」〈26〉と言う。当時の一般的な価値観の中では、道徳的善が救いに結びついていた。しかし、永遠の命を受ける条件に道徳や、働きの多さに比例しない〈27〉。
神様だけが憐みのゆえに、私たちを救うことができるお方。十字架は恵み!
お祈り 天にいます父なる神様、御名を崇めます!私の救いのためにイエス様の十字架が必要であることを覚え、感謝します。自分の成したことに目を留めず、憐みに目を向けます。イエス様の御名によって祈ります。アーメン