2018年2月 第422号 「我を遣わし給え」

そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」(イザヤ6・8)

 

これは、イザヤが神の呼びかけを聞いて、預言者として献身を決意し、告白した時の状況です。

神はイザヤ個人に向けて呼びかけてはいません。神はイザヤを強制的に召されたのではありません。イザヤは誰とはなしに語りかけられた神の声に自分の方から、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」と応答したのです。

イエスは「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」(マタイ22・14)と言われましたが、神の御声を聞き分けることができるかどうかは、私たちの心の状態に関わっています。私たちと神との関係がイエス・キリストによって正しく結びついていることが大切です。だからイエスは「耳のある者は聞きなさい」とくり返し警告されたのです(マタイ11・15他)。

エリヤは失望落胆して逃亡し、神の山ホレブにたどり着き、洞穴に身を潜めていた時、非常に激しい風や地震や火のような出来事ではなく、「静かにささやく」神の声を聞くことによって再び預言者として立ち上ることができました(列王記上19章)。

私たちも、祈る時、聖書を読む時、メッセージを聞く時、心の耳を開き、心を集中して神の声を聴きましょう。イザヤを「行け、この民に言うがよい」と押し出されたように、私たちをも遣わしてくださいます。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」と告白しましょう。