2017年10月 第418号 「イエス様のとりなし」
「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカによる福音書22章31、32節)
主イエス様は、ペトロ(イエス様がつけた名)に、まだペトロ(岩)のような不動の信仰がないのを見て、もとの名で呼ばれ、始めのように話されました。するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と答えました。しかし、イエス様は「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう」と言われました(同33、34節)。
イエス様が十字架にかかるために捕えられた時、ペトロはイエス様の言われたとおり、主を裏切ってしまいました(ルカ22・54~62)。
私たちは、こんなペトロを責めることはできません。なぜなら、私たちもペトロと同じように弱い人間だからです。決心しても揺ぎやすく、初心を貫くことが難しい者です。
しかし、なんと感謝なことでしょうか。シモンのために信仰が無くならないように祈られたイエス様は、同じように信仰の弱い私たち一人ひとりのために、今もとりなしの祈りをしてくださっているのです(詩121・4参照)。
そして、イエス様の言われたとおり、ペンテコステの日に聖霊の力に満たされたシモンは、ペトロと変えられ、教会のリーダーとして主に仕え、最期はローマの地で殉教しました。(Ⅰペトロの手紙4・19)をお読みください。