2017年5月 第413号 「赦(ゆる)す」

「我らに罪を犯す者を我らがゆるすごとく、我らの罪をも赦したまえ」(主の祈りより。マタイによる福音書6章12節)

 

私たちにとって人をゆるすことは難しいことです。ペトロがイエス様に、「主よ、私は人を何回ゆるすべきですか。七回までですか」と尋ねた時、イエス様は「七の七十倍までもゆるしなさい」と言われ、次のたとえ話をされました。「王様から一万タラントン(一万日分の給料の額)を借りていた人が、返せないので王様に必死でお願いすると王様は憐れに思って借金をすべてゆるしてあげました。ところが、この人は自分が百デナリオン(百日分の給料の額)を貸している友だちの首を絞め『借金を返せ』と責めたて、『待ってほしい』と切に頼んでいるのに、ゆるさないで、牢に入れました。そのことを知った王様は、『私がお前を憐れんでやったように、お前も友人を憐れむべきだろう』と言い、彼を牢に入れたのです。」このたとえでイエス様は、「私たちが心から人をゆるさないなら、天の父なる神様も私たちを赦してはくださらない」ということです( マタイ18・21~35参照)。

イエス様は、私たちの身代わりとなって罪を赦すために十字架にかかり、最初に祈られたのが、ご自分を十字架につけた人々のため「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」というとりなしの祈りでした。

このイエス様の祈りを体験した人、自分の罪を悔い改め、イエス様を自分の救い主と信じ、罪の赦しを真に体験した人が、心から人をゆるすことができる人へと変えられるのです。