「祈りの手を上げる」
2017.3.12. 礼 拝
出エジプト 17:8-13(p122) 「祈りの手を上げる」
手を上げる 〈11〉
▽モーセは、天の父なる神に向って手を上げて祈りました。彼はこれまでの経験から、祈りが全能の父なる神の御手を動かすことを体験的に知っていたからです。
▽「絶えず祈りなさい」〈Ⅰテサ5:17〉。「その手は日が沈むまでしっかりと上げられていた」〈12b〉。絶えず祈るとは、常に心が神に向けられ、神と心が交わることです。
▽モーセは山の頂きに立ち、戦っている民に向って両手を上げ、とりなしの祈りをし、民の祝福を祈りました。
私たち兄姉の戦いのためとりなしの祈りをしましょう。
祈りは勝敗を決める 〈11〉
▽「モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった」。祈りが信仰の戦いの勝敗を決めるのです。
▽これは霊的な事実です。祈りによって事態が変わります。私たち一人ひとりが祈れば、門真教会は成長発展し、救われる魂が起こされます。
▽「日の沈むまで」とは、神の時がくるまで、途中で諦めないで、祈りの手を上げ続けることです。神の時がくると信じて祈り抜くことです。〈マル11:24〉。
手が重くなる 〈12〉
▽信仰の霊的戦いが長時間続く時、神の時がくるまで、信仰に立って祈り抜こうとする時、肉の弱さの故に心身共に疲れる時もあります。
▽イエスは「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」と言われました〈マタ26:41〉。これもまた、事実です。
▽その時、アロンとフルがモーセの祈りの手が下がらないように支えました。
私たちも教会で家庭でお互いの祈りの手が下がらないよう支え合いましょう。