2017年3月 第411号 「イエス・キリストの名」
「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上り、歩きなさい。」(使徒言行録3章6節)
エルサレムの神殿の境内に入る「美しい門」のそばに、生まれながら足の不自由な男が施しを乞うために座っていました。祈るため神殿に来ていたペトロとヨハネがこの人をじっと見て、ペトロが言ったのが初めの言葉です。すると、この人は躍り上がって立ち、歩き回り、神を賛美しました。
その情況を見て驚き、集まって来た群衆にペトロはイエス・キリストの福音を大胆に語りました。そのメッセージを聞いた人々はなんと男だけで五千人もの人がイエス・キリストを救い主として信じ受け入れたのです。
その事実を知った宗教家たちは腹を立てて二人を牢に入れ、翌日二人を法廷に引き出し「何の権威、だれの名によってああいうことをしたのか」と問い詰めました。するとペトロは聖霊に満たされて力強く弁明しました。「この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです」と。さらに「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」(同4・10、12)と。それに対し宗教家たちは「足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返せなかった」のです(同4・14)。
この偉大な主イエス・キリストの御名によって全能の父なる神に祈ることができるとは、何と感謝でしょうか。