「主の御声を聞け」
2017.2.19. 礼 拝
詩篇 29編(p859) 「主の御声を聞け」
ダビデは、主の栄光と力を「主に帰し」3回礼拝をささげ、「主の御声」を聞きました。
清い心をもって礼拝する
▽神は私たちの心を見られます〈サム上16:7〉。形式だけの礼拝や口先だけの賛美ではなく、「神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げ」る礼拝〈ロマ12:1〉。
▽この世にあってこの世に属さず、聖別された神の子どもとして、また「世の光、地の塩」として、「栄光と力を主に帰」して礼拝するのです。
▽「帰せよ」の意味は、「与える、ささげる」で、自分を全く無にすることです。
恐れをもって礼拝する
▽ダビデは、「主の御声」を聞いた造られたもののすべてが、驚き、震え、畏れ、おののいていると告白します〈3-10〉。畏れるべき方はただ主なる神だけだから。
▽私たちは、この世で対人関係で苦しめられ、世の人を恐れます。しかし、世人がどんなに私たちを苦しめても。私たちは恐れる必要はないのです〈11〉。
▽なぜなら、「私は既に世に勝っている」〈ヨハ16:33〉と宣言されたイエスがいつも共にいて守り、支え、導いてくださっているからです。〈ロマ8:35-37〉
祝福の源である神を礼拝する
▽神は人を創造されて「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」と祝福してくださいました〈創1:28〉。神は祝福の源である方です。
▽だから、祝福の源である神を信仰をもって礼拝しなければならないのです。主はその礼拝を喜んでくださり、豊かな祝福を与えてくださいます。
「良い羊飼い」であるイエスの御声を聞き分け、従えば豊かな牧草が〈ヨハ10:16、9〉