2016年11月 第407号 「幼子のように」
「イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った」(マタイによる福音書19章13節)
親たちは、神の国について教え、数々の奇跡を行い、病気をもいやしておられるイエス様の祝福をいただくために幼子を連れて来ました。ところが
弟子たちは、イエス様が忙しいこと、また疲れておられることを配慮したためか、親たちを叱りました。しかし、イエス様は弟子たちをたしなめて「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである」と言われました(同14節)。
「三つ子の魂百まで」という格言がありますが、人間の人格形成は三歳までがとても重要であると言われます。聖書にも「子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない」(口語訳、箴言22・6)とあります。
最近はスマホなどが普及し、便利になったとはいっても、いろいろな弊害が出ています。その一つがコミュニケーションの不足です。顔と顔とを合わせて、互いに言葉をもって意志の疎通をすることの不足です。
イエス様は、幼子をも一人の人としての人格を認め愛してくださいました。ユダヤ人の母親は乳児に母乳を飲ませながら、自分が暗誦している聖書の御言葉を聞かせると聞きました。
また、イエス様は、幼子のように自分を低くし、素直に神の御言葉を信じ受け入れる人が神の国に入ることができるとも勧めておられます。あなたもぜひ、イエス様のもとへ行かれますように。