「目を覚ましていなさい」
2016.8.28. 礼 拝
マタイ 24:36-51(P48) 「目を覚ましていなさい」
無関心な者 〈36-39〉
▽〈36〉。イエスの再臨の時はだれも知りません。再臨の前兆はいろいろとありますが〈5-12〉、その時は父なる神の御心のうちにあるからです。〈Ⅱペト3:9〉
▽〈37-39〉。イエスはその時が「ノアの洪水」と同じように来ると言われた〈37〉。ノアの時代の人々はノアの警告を聞こうとはせず、日々の生活を楽しんでいました〈38〉。
▽罪に支配されている霊的に無知な人々は、イエスに対しても全く無関心で聖書の言葉も信じないで、永遠の滅びに向って、空しくただ生きているだけです。
眠っている者 〈40-44〉
▽〈40、41〉。ノアの時と同じように、人々がいつものように生活をしていると、思いがけない時に、主が再臨され、携挙される者と残される者とに二分されます(半々ではない)。
▽〈43〉。イエスは再臨を、泥棒が夜密かに侵入することにたとえています。ペトロも〈Ⅱペト3:10〉、ヨハネも〈黙3:3〉、パウロも〈Ⅰテサ5:2〉同じです。
▽私たちはその時が分からないのだから、いつ再臨があっても大丈夫のように、いつも「目を覚まし」〈42〉、「用意して」いなければなりません〈44〉。「賢いおとめ」
不信仰で愚かな僕 〈45-51〉
▽〈45-47〉。「忠実で賢い僕」は、主人が期待したとおりにしっかりと家を治め、責任を果して主人に喜ばれ、全財産の管理をまかせられました〈47〉。
▽〈48、49〉不信仰で「悪い僕」は、主人の帰り(再臨)が遅いのをよいことに、仲間に暴力をふるったり、酒飲みと飲食を共にして、主人にさばかれました〈51〉。
▽あなたが「忠実で賢い僕」であるかどうかは、主の再臨をどれほど熱望しているかにより、それは祈り、賛美、礼拝、奉仕に表われます。〈Ⅰテサ5:16-19〉