「靴を脱ぐ」
2016.5.8. 礼 拝
出エ 3:1-6(p96) 「靴を脱ぐ」
神の啓示
▽〈1〉。モーセは舅エトロの羊飼いをしている時、神の山ホレブ(シナイ)に来ました。・ホレブ=乾燥した所の意。現在のジェベル・ムーサ(アラビア語。モーセの山の意)。
▽〈2〉。神は、ご自分自身を啓示されました。神の啓示は、人間の知識や常識では、理解できません〈3〉。「神の愚かさは人よりも賢い」〈Ⅰコリ1:25〉。
▽「言は肉となって、私たちの間に宿られた。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」〈ヨハ1:14〉。人の理解力を越えています。
神に近づく
▽信仰の目的は、私たちを個人的に神の前に導き、神と個人的に人格的に出合うことです。そのためには、モーセのように神に近づかなければなりません〈3〉。
▽神は、私たちが神に近づくことを求めておられます〈4〉。「神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます」〈ヤコ4:8〉。神に近づきましょう。
▽〈4〉。神は私たちの名を呼ばれます。私たちがそれに答える時、ご自身との関係を回復し、親しい交わりをもてるように導いてくださるのです。
靴を脱ぐ
▽〈5〉。神に近づくためには、靴を脱がなければなりません。なぜなら、神は聖なるお方だからです。最後の晩餐の後、イエスは弟子たちの足を洗われました。
▽ペトロが「足だけでなく、手も頭も」と言うと、イエスは「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい」と。足は人間の罪を象徴しています。
あなたが靴を脱ぎ(罪を告白して悔い改める)なら、神は生ける神として、ご自身を現わしてくださいます〈6〉。〈ロマ5:8〉