「幸いな人」

2016.4.3.       聖 餐 式 礼 拝

 

詩篇 1、2編(P835)       「幸いな人」

 

むなしく声をあげる

▽この世では「神の民」は少なく、「神に逆らう者」の方が多い〈2:1-2〉。世の人は、神を無視して、自分で「むなしく声をあげる(つぶやく)」=〈2:1〉。

▽「つぶやき」は、神を忘れた思いめぐらしで、「主の教えを愛し、昼も夜も口ずさむ」〈1:2〉代わりに、この世の事に目を向けて思いめぐらしているのです。

▽しかし、神は天に座しておられ、彼らを見て笑い、嘲り、憤って、恐怖に落とされます〈2:4、5〉。みことばをないがしろにする者への警告です。

 

メシヤの支配

▽神は「聖なる山シオンに自ら王を」立てられます〈2:6〉。これはダビデ王の即位を予告することばです〈2:7-8〉。このことは〈マタ3:17〉で成就します。

▽イエスの十字架刑を決めさせたのは、大祭司の質問に対し、ご自分が神の子であると認め、〈ダニ7:13〉を引用し、ご自分を世界の王と宣言したから〈マタ26:64〉。

▽さらに〈2:9〉と約束されたことが、黙示録で、再臨されたキリストが王の王として、この地を治めることとして引用されています。〈黙2:27。12:5。19:15〉。

 

幸いな人とは

▽〈詩1〉は「いかに幸いなことか」で始まり、〈詩2〉は「いかに幸いなことが、主を避けどころとする人はすべて」で終っています〈2:12〉。 それは

▽「幸いな人」として生かされるための秘訣が、「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ」にあります〈1:2〉。そしてその結果が〈1:3〉です。

▽豊かな実を結び、葉も枯れることなく、繁栄するには「ときが巡り来れば」とあるように、実を結ぶには、みことばを思いめぐらす忍耐が必要です〈ヘブ10:36〉。