「捨て子から神の子へ」

2015.12.27.       礼 拝

 

エゼキエル 16:1-14     「捨て子から神の子へ」

 

捨て子のようなもの〈1-5〉

▽「生まれはカナン人の地、父はアモリ人、母はヘト人」とは、生まれがハムの子孫と同じように、ユダが主とは関わりのない民族であったということです。

▽ユダは、生まれた時〈4、5〉のように、当時新生児には必ず行われていた事が、何一つ行われることなく、嫌われて野に捨てられていたようなものでした。

これは救われる前の私たちの姿でもあります〈エフェ2:1-3〉。聖書は「あなたたちが切り出されてきた元の岩、掘り出された岩穴に目を注げ」とあります〈イザ51:1〉。

 

救われたもの〈6-8〉

▽主は血まみれのユダに向って「生きよ」とくり返し言ってくださいました。そして、主は捨て子のようなものを、憐れんで救い出し、育ててくださったのです〈6〉。

▽主が野の若草のように育んでくださり、健やかに養い、成長させてくださったのですが、まだ、ユダは裸のままのものでした〈7〉―→〈創3:7〉。

▽主は、衣の裾を広げ、裸を覆ってくださいました〈8〉。「私のものとなった」とは、主が結婚してくださったのです。ボアズとルツをみてください〈ルツ3:9。4:10〉。

主は私たちを「キリストの花嫁」として迎えてくださいます〈イザ54:4-6〉。

 

整えられたもの〈9-14〉

▽主はユダを洗い清め、美しい服を着せます〈9、10〉。これは「主イエス・キリストを身にまとう」ことです〈ロマ13:14〉。また、いろいろな装身具をもって身を飾ってくださったことは、私たちが「御霊の実」をもって身を飾ることです〈ガラ5:22-23〉。

▽さらに主は、日用の糧を備え〈13〉、美しく整えてくださり、その美しさが「キリストの花嫁」として、周りの人々に対し、キリストの証人として用いてくださいます〈14〉。