「主よ、信じます」
2015.11.15. 特 別 礼 拝
ヨハネ 9:39(P186) 「主よ、信じます」
訪ねてくださるイエス〈35-36〉
▽自分の体験を証ししたため、会堂から追い出された生まれつきの盲人を、イエスは再び訪ねてくださり、「人の子を信じるか」と尋ねられました〈35〉。
▽「人の子」とは、神ご自身を私たちに見せるために、人となってくださった方のことで、「メシヤ」と同じ意味でくり返し使われています〈1、3、5、6、8、9…〉。
▽彼は、初対面だから、今、目の前におられる方がイエスとは分からず、「その方はどんな人ですか。その方を信じたい」と答えます。〈36〉。主に対する飢え渇きが大切です。
メシヤなるイエス 〈37-38〉
▽イエスは、今、あなたが見、あなたと話している私こそがメシヤだと答えられます〈37〉。彼が正しい信仰を持つためには、イエスをはっきりと知る必要があったからです。
▽イエスご自分がメシヤであることをはっきりと示されたので、彼は「主よ、信じます」と信仰の告白をし、ひざまずいて、イエスを礼拝しました〈38〉。
▽霊の目が開かれた彼に驚くべき変化が起こりました。物乞いをして生きていた彼が神の子とされました。たとえ絶望状態でも、イエスにあって希望がもてます。
目を開かれるイエス 〈39-41〉
▽イエスは裁くために来たと明言されます〈39〉。それは盲人を見えるようにし、見えるというファリサイ人たちを見えない者とするということです〈40、41〉。
▽霊的な盲人の特徴は、眼の前でイエスを見ても、イエスがメシヤであることが悟れないことです。見える者を見えないようにするのはメシヤ時代の印です〈イザ6:10〉。
霊的に盲目のままでは、自分に真理が見えていないことすら気がつきません〈40〉。あなたは霊の目が開かれた者として、「主よ、信じます」と告白する毎日を過ごしましょう。