2015年10 月 第394号 「収穫の秋」

涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。(詩篇126・5-6節)

 

台風17、18号がもたらせた記録的豪雨で、茨城県の鬼怒川の堤防が決壊し、濁流による多大な被害が広範囲に及び、収穫前の農作物が壊滅状態になり、農家の人々のご苦労もすべて水の泡となってしまいました。

さて、「蒔かぬ種は生えぬ」ということわざがありますが、種を蒔くという労働なくして刈り入れは期待できません。初めの「涙と共に種を蒔く」とは、イエス様の「種を蒔く人」のたとえに重ねて読むと、まことの神の愛を知ろうともせず、自分の欲望のままに生きている人々の行く末を心配し、心を痛め、何とか救い主イエス様を信じてほしいと涙して祈り、イエス様の福音を伝えることと言えます。

パウロは「私は福音を恥としない」。また「何とかして何人かでも救うため、福音のためなら、私はどんなことでもします」。そして「同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」とまで言ったと聖書は記しています。まさにパウロは「涙と共に種を蒔いた人」です。

踏み固まった道端のように心のかたくなな人、根が張れない石地のように感情まかせに信仰生活をしている人、思い煩いや富や快楽にふり回されている人などが、イエス様を信じ救われるように涙と共に祈り、福音の種蒔きに、折りが良くても悪くても励もうではありませんか。