「罪人の友」

2015.9.27.        礼 拝

 

ルカ 15章       「罪人の友」

 

たとえ話のなぞ 

イエスは、「罪人と共に食事をしている」と非難した宗教家たちに対して、この三つのたとえ話をされました〈2、3〉。その中に「なんで」と問いたいなぞがあります。

・「見失った羊」のたとえ。なんで一匹のために99匹の羊を犠牲にしたの?〈4〉。

・「無くした銀貨」のたとえ。なんで、たった一枚の銀貨のためにここまでするの?〈8、9〉。

・「放蕩息子」のたとえ。帰って来た放蕩息子に対する父親の行動〈22、23〉に対して、兄の言っていることにも一理あるのでは?〈29、30〉。

イエスは「人の子は、失われたものを捜して救うために来た」〈ルカ19:10〉と言われましたが、イエスは自分から罪人の中に入って行かれ、「罪人の友」と呼ばれ、何とか罪人を一人でも救おうとされたからです。(例)サマリヤの女〈ヨハ4〉。

 

たとえ話の教訓 

教会は未信者のためにある。 イエスは「あなたがたは行って、すべての民を私の弟子としなさい」と言われた〈マタ28:19〉。イエスは信徒(99匹の羊)も大切だが、それ以上に失われた人(1匹の羊)が救われることを望んでおられるのです<7、10>。

未信者との関係作りに犠牲を払おう。 あなたが未信者に対し、主にある兄姉と同じように「親しい友」となることを、本当に願って接しているなら、きっとその人はイエスを信じるようになるでしょう。

真に罪人の友となろう。 教会の中で、主にある兄姉と交わることと、世の人々と友だちになることのどちらを優先しようとしているだろうか。

キリストの証人とは、キリストの弟子として、師であるイエスの真似をする人です。

・パウロも<Ⅰコリ9:21-23>と言っています。

あなたもイエスの弟子として、イエスのように真の「罪人の友」となりましょう。