「キリストの再臨」
2015.4.19. 礼 拝
Ⅰテサロニケ 1:3(P374) 「キリストの再臨」
テサロニケの教会は、パウロが第2回伝道旅行で1ヶ月位滞在して伝道した生まれて間もない教会です。しかも激しい迫害の中にありました〈使17:5〉。それでパウロは彼らが信仰をなくさないかと心を痛めました。しかし、彼らは「信仰・愛・希望」において、周りの教会の模範となっていました〈6、7〉。それは、彼らが主の再臨の切迫していることを確信していたからです〈3〉。パウロも「私たち生き残っている者」とあるように〈4:15〉、自分たちが生きている間に再臨があると信じて、再臨を待望しつつ毎日生きていました。しかし、彼らは、すでに死んだ使徒たちが再臨の時、どうなるのかと心配していました〈4:13-14〉。だから、パウロは、再臨の様子を具体的に説明し、彼らを励ましています〈4:15-18〉。
彼らの信仰が生き生きとしていたもう一つの理由は、彼らが「主の日」を待望していたからです。「主の日」とは、再臨に続く審判の日です〈アモ5:18〉。主の日は「人々が無事だ安全だと言って」生活している時、「盗人が夜やって来るように、突然、襲ってくることを彼らは知っていたからです〈5:2-3〉。
イエスも「その日、その時は、だれも知らない。だから、目を覚ましていなさい」と警告しています〈マタ24:36、42〉。しかし、私たちは「光の子」だから、この恐ろしい日が突然襲うことはありません〈5:4-5〉。その日に備え、目を覚まし、信仰・愛・希望を身につけ、身を慎んでいましょう〈5:6、8〉。
「主の日」は、私たちにとって、イエスによる救いの完成の日です〈5:9〉。聖書は、「この者たちに対して、第二の死は何の力もない」と断言します〈黙20:6〉。
[お祈り] 天のお父様、御名を崇めます。この僕を信仰に立って、目を覚まし、主の再臨に備えさせてください。イエス様の御名によって。アーメン