「風は思いのままに吹く」
2015.2.8. 礼 拝
ヨハネ 3:1-8(p 167) 「風は思いのままに吹く」
ニコデモは、神の前に正しく、名誉も地位もあり、裕福な人でした〈1〉。しかし、心に平安がなく、魂が飢え渇いていました。だから、人目を避けて、夜密かにイエスのもとに来たのです〈2〉。
ニコデモは、イエスを「ラビ」と呼び、神に遣わされた教師、預言者と認めます〈2〉。
イエスは、彼の〈2〉の言葉の奥にある魂の求めを見抜かれ、その渇きを満たす方法は、「新しく生まれる」以外にないことを示されました〈3〉。しかし、ニコデモは、その真の意味が分らず、肉的再出生と誤解します〈4〉、イエスは、「水」は清めを示す洗礼の象徴であり、新しく生まれるのは、上から来られた聖霊のみわざであって、自分で選ばれるものでも、自分の力でできるのもでもないと言われたのです〈5〉。
「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言えない」とあるとおりです〈Ⅰコリ12:3〉。
イエスは、「風の音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くのか知らない」〈8〉ように、聖霊のみわざによる救いも、それと同じで、なぜなのかは分からないと言われた。
〈14〉で、イエスは、モーセの事〈民21:9〉を引用し、ご自分の十字架による贖いを示し、それを信じる人に永遠の命を与えると約束してくださいました〈15〉。
ニコデモは、イエスを信じ、後にイエスを弁護し〈7:50-51〉、また、ヨセフと共にイエスを埋葬しています〈19:39-42〉。
あなたも、主の前にすべてを明け渡し、みことばと聖霊によって、「イエスを主」と告白し、み救いに与っていることを感謝しましょう。
[お祈り] 天のお父様、み子イエス様の血による贖いと聖霊による開眼によって神の子としてくださったことを、イエス様の御名によって感謝します。アーメン