2014年10月 第382号 「絶望が安心に」

この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった。(ルカによる福音書8章44節)

「この女」は、十二年間もの長血を病む、身体的苦痛、医者に全財産を使い果たした経済的苦しみ、律法で汚れた者と定められた宗教的苦しみ、人々から拒絶される精神的苦しみ、社会生活に入れない社会的苦しみという五重苦に悩み、絶望状態にありました。

イエスは「あなたがたには世で苦難がある」(ヨハネ16・33)と言われましたが、この世では人間の背信の罪が支配しているため、病や苦悩は絶えることがありません。

さて、群衆がイエスを取り巻き、押し合っているのに(同45節)、なぜ、この女だけがイエスのみ力を引き出して病がいやされたのだろうか。

それは、この女がイエスの服の房に触れたからです(同44節)。房とは神の律法を思い出すために服の四隅につけられたものです(民数記15・37-41)。

彼女は「溺れる者わらをもつかむ」思い、イエス様の服にでも触れればいやしていただける(マルコ5・28)と触れたのが房でした。彼女は自分が汚れた者であることを思い出したことでしょう。私たちもこの女のように、自分が罪に汚れた者であることを自覚した上で、いや、それ故にこそ信仰の手を伸して、イエスに触れたいのものです。「御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます」(Ⅰヨハネ1・7)。

イエスは「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と彼女を祝福されました(同48節)。