2014年7月 第379号 「何をして欲しいのか」

 イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。(マルコによる福音書10章49‐51節)

道端に座って物乞いをしていた人がイエス様が通られると聞いて、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫びました(47節)。その時、多くの人々が彼を黙らせようとしましたが、彼はますます叫び続けました(48節)。同じように、あなたが真剣にイエスに向って求道し始めると、周りの人々は冷ややかな目で見、反対し、邪魔します。あなたも経験ありませんか。

しかし、あなたを愛しておられるイエス様は、そうではありません。あなたの声を聞き、立ち止まり、み声をかけてくださるお方です(49節)。

盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってさらにイエス様に近づきます(50節)。そうです。このことが大切です。上着は彼にとって最後に残された財産です。彼は少しでも身軽になり、少しでも早くイエス様の下(もと)に行きたかったから。

イエス様は、「何をしてほしいのか」と聞かれました。彼は、「見えるようになりたい」とすぐ答えます(51節)。イエス様はなぜ、分かりきったことを聞かれたのでしょうか。イエス様はあなたの心の中にある願いを引き出し、口で告白するあなたの意志を求めておられます。そうして、イエス様は、「あなたの信仰があなたを救った」と言って彼の目を開かれました(52節)。

新しく生まれ変わり、人生が変わるためには、体の目だけでなく心の目が開かれることが必要なのです。