2014年3月 第375号 「ハンディキャップ」
「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」(ヨハネによる福音書 9章3節)
多くの人々が身体的、精神的にハンディキャップ(不利な条件)を背負いながら生活しています。そんな時、人生に絶望し、弱気になって、自分の殻の中に閉じこもる人や、自分の欠点や失敗のせいにしたり、環境や世間や人のせいにする人がいます。また、弟子たちが生まれつき目の見えない人を見てその原因が「だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」とイエス様に尋ねたように(同2節)、因果応報的に考える人もいます。この弟子たちの質問に対するイエス様の答えが、最初の聖句です。
ヘレン・ケラーは、二歳から三重苦を背負いましたが、「神様が私に、ハンディキャップを与えてくださったことを感謝します。」と言い、世界中の多くの障害者をはじめ、人々に生きる勇気と希望を与えました。
大切なことは、自分のハンディキャップや欠点をどう受けとめ、どのように付き合い、どう対処するか、ということではないでしょうか。
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(Ⅰコリント10・13)との約束を信じ、できないと思えることにも挑戦し、克服し、勝利することができます。
「できれば、と言うか。信じる者には何でもできる。」(マルコ9・23)