「見えるようになれ」
2013.11.10. 礼 拝
ルカ18:35-43 「見えるようになれ」
イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」〈42〉
私たちの心の目を見えなくしているのは、まず、自分が見聞きしたこと、経験したことなどによって自分の中に作られたものの見方、考え方。次に、嫌いな人、苦手な人の言動を、自分の過去の記憶(古傷)に重ねて受け留め、あの人はこんな人だと決めつける。しかし、殆どは自分の思い込み、勘違いです。また、どうなるか分らないことを心配したり、自分でどうすることもできないことを自分で何とかしようとすると、不安・恐れに支配され、正しい判断ができなくなります。
どうしたら見えるようになるのでしょうか。まず、この盲人は、イエスがお通りだと聞くとすぐ、イエスに向って叫びました〈37,38〉。彼は千載一遇のチャンスを逃さなかったのです。次に、彼が必死に叫んだので、人々は叱ってから黙らせようとしたのですが、彼は益々叫び続けました〈31〉。切実な求めが必要です。そして「ダビデの子イエスよ」とは、ダビデの子孫として来られると約束された救い主への信仰であり、「私を憐れんでください」とは、イエスに対する信頼の告白です。イエスは彼をそばに連れてくるように命じ〈40〉、彼に何をしてほしいのかと尋ね〈41〉、「見えるようになれ」と言われ、彼の目(心・身共に)を開かれました。
〔お祈り〕
天の父なる神様、御名を崇めます。どうか私の心の目を開き、イエス様をはっきり見えるようにしてください。イエス様の御名によって。 アーメン