「みことばを聞くことの飢饉」

2013.11.3.          礼  拝

 

アモス8:11-12(P1440)             「みことばを聞くことの飢饉」

 

「見よ、その日が来ればと主なる神が言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく、水に渇くことでもなく、主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ」〈11〉

 

 情報が溢れる時代に生きている私たちは、過去のどの時代よりも、神の声を聞くことが疎かになっています。イエスに癒しや奇跡は求めますが、生活に必要な知識や知恵を求めていないのではありませんか。イエスは「聞く耳のある者は聞きなさい」〈マルコ4:9〉と言われます。なぜなら、「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れている」〈コロサイ2:3〉からです。

 この預言は成就しました。マラキの時代からバプテスマのヨハネの出現までの約400年間、民が耳を閉ざしたので、神は沈黙されました。また、イエスが故郷ナザレで伝道した時、人々はイエスを大工の息子と言って躓いたので、奇跡を行いませんでした〈マタイ13:53-58〉。

 イエスの弟子であるあなたにとって、主の御声を聞きながら生活することは霊的訓練の一つです。イエスを教師として教えを受け、イエスの知識と知恵を求めることが大切です「主よ、お話しください。僕は聞いております。」〈サムエル上3:10〉。心の耳を開いてみことばを聞く者となりましょう。

 

〔お祈り〕

 天のお父様、御名を賛美します。僕にみことばに対する飢え乾きと心を開いて聞く耳を与えてください。イエス様の御名によってお祈りいたします。 アーメン