2013年8月 第368号 「死んでからでは」
やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。 (ルカによる福音書16章22節)
すべての人は死ぬ
ある金持ちが高級な服を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていました。その門前に、全身できものだらけの貧しいラザロがきて、パンくずで飢えをしのいでいました。
やがて、ラザロは死んで神のみもとに召され、金持ちも死んで葬られました(同19~22節)。そうです。死はすべての人に平等に訪れます。
天国と地獄は往来できない
金持ちは陰府(地獄)にいて目を上げると天国にいるラザロがはるかに見えたので、「炎の中でもだえ苦しんでいるわたしを憐れんで、ラザロをよこして、指先の水でわたしの下を冷やさせてください。」と求めましたが、「天国と地獄の間には大きな淵があって往来できない。」とはっきり断られました。そうです。生きている間の生き方が、死後の行き先を決定し、互いに往来はできないのです。(同23~26節)
聖書に聴け
金持ちは、「地上にいる肉親が、こんな苦しい所に来ることのないように、ラザロを遣わして注告してください。」と頼みましたが、「もし、聖書を信じないなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、信じることはしないだろう。」と言われました(同27~31節)そうです。死んでからでは遅すぎます。生きている間に、神の招きに応じ、イエス様を信じ、生き方の方向転換が必要なのです。