「信仰の喜びの回復」
2013.3.17. 礼 拝
ヨシュア4:1-7(P344) 「信仰の喜びの回復」
Ⅰ.救いの原点に帰る〈4章〉- 12の石を立てる
契約の箱を担ぐ祭司がヨルダン川に足を入れてから〈10〉、ヨシュアの命で川を上るまで〈17,18〉、川はせき止められ、民は川の底を徒渉した〈19〉。
ギルガルに12の石を立てたのは、奇跡的にみ業による救いを記念すること強調するため。その三つの理由が〈20-22〉〈24a〉〈24b〉です。
救われた時の原点に戻り、救いの喜びを思い起こしましょう。
Ⅱ.救いを記念する〈5章〉- 割礼と過越祭
奇跡的ヨルダン徒渉により、周辺の王たちは恐れ、誰も攻めて来ない〈1〉。だから、主は民に割礼を命じた〈2〉。その理由は〈4,5〉と〈6,7〉です。
ギルガルの意味は「転がす」。つまり、割礼とは過去の罪が取り除かれた契約の印です〈9〉。それは私たちにとっては洗礼です。(コロサイ2:11,12)
出エジプトして41年目の正月14日夕の過越祭は〈10〉、私たちの聖餐式です。 この日にマナが止んだ〈12〉。今、私たちは「命のパン」で生かされている。(ヨハネ6:58)
受洗と聖餐に与(あずか)れる喜びを思い起こし、記念としましょう。
Ⅲ.主が共に戦われる〈5章〉- 抜き身の剣を持ち立つ男
約束の地に入って最初の難関、エリコの城壁を見上げ祈るエリシャの前に、いつでも戦う準備した主の軍の将軍が立っている〈13-15〉。
エリコの陥落は神のみ業〈6章〉。民が黙ってエリコを回った7日間は過越祭の期間と同じ。民は出エジプトした時のみ業は思い出したでしょう。
信仰の戦いの馳せ場を、主の十字架を仰ぎ前進しよう。(ヘブライ12:1-3)