2020年 8月

2020.8.2.     ウェルカム礼拝   

 

マタイ書14:22-33(P28)     「恐れることはない」

 

なぜ、主は「恐れるな」と命じるのか 〈27〉

▽聖書には366箇所「恐れるな」とある。恐れることによって、私たちが主のみことばに従って行動できなくなるからです。

▽恐れるな私たちが「舟から外へ出る」ことを妨げます。(プールサイド2才女子)

〈29〉主は恐れて「いいえ」ではなく、信仰による「はい」という返事を求めて、「来なさい」と待っておられます。

 

① 湖上を歩くイエスを見て恐れた 〈26〉

・「わたしだ」と言われるイエスを信じていない〈27〉。〈イザ43:1-5(P1130)〉

② 強い風に気がついて恐れた 〈30〉

・〈28〉ペトロはイエスの所へ行きたいと願い、イエスのみことばによって自分も水上を歩くことができると信じて、舟から外へ出た。

・しかし、強風に気づいて信仰をなくし、怖くなり、沈みかけて、「主よ、助けてください」と叫んだ〈30〉。

主が「恐れるな」とくり返し命じておられるのは、「恐れ」が信仰をなくさせ、主に近づくことの妨げとなるからです。

 

③ 習慣になる恐れ

・恐れが習慣的になると、人は「心配性」になります。心配は別な形の恐れです。恐れは外側から起こり、心配は内側で起きる。

・恐れは「失敗するのではないか」という心配から起こります。

恐れから解放される特効薬は、主イエスから目を離さないことです。〈ヘブ12:1-2a〉P416

この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。(ヨハネによる福音書19章28節)

 

ある人が、痛みを和らげるため海綿に酸いぶどう酒を含ませ、イエス様に飲ませようとします(マタ27・48)。

これらのことは、「人はわたしに苦いものを食べさせようとし、渇くわたしに酢を飲ませようとします」(詩69・22)の成就を示しています。

この時の、イエス様の「渇く」と言われた言葉にはどのような意味があるのでしょうか。

もちろん、背中は鞭で打たれ、頭には茨の冠をかぶせられ、手足は釘づけにされての大量の出血のための渇きであることは言うまでもありません。

しかし、全く罪のない聖なる神の御子が私たちと同じ人となってこの世に来てくださった、その目的に思いをはせる時、それがただ喉の渇きだけではないことが分かります。

イエス様は、私たち一人ひとり、全ての人を背信の罪から贖って、神の子どもとしての立場を回復してくださるため、罪の代価である「死」を十字架の上で尊い命を捨てることによって支払ってくださったのです。イエス様は私たち一人ひとりをどこまでも愛してやまない深く大きな愛に飢え渇いておられたのです。

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(ヨハネの手紙Ⅰ 4章10節)

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