2018年10月 第430号 「明日のことを思い悩むな」

貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしのために定められたパンでわたしを養ってください。飽き足りれば、裏切り、主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き、わたしの神の御名を汚しかねません。(箴言 30章8-9節)

 

実りの秋、収穫の秋、食欲の秋です。初めの聖句はアグルの祈りの言葉です。彼は「貧しくもなく、また富もせず、ただなくてはならぬ食物で私を養ってください」と祈っています(口語訳)

その理由は、飽き足りたならすべての物の与え主である神様の恵みを忘れて神様を無視して生活するようになり、逆に貧しければ、「背に腹はかえられなく」なって、盗みを働き、神様の御名を汚す者となるからです。

イエス様は「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか」(マタ6・26)、また「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存知なのだ」(マタ6・8)とも言っておられます。

イエス様が弟子たちに教えられた祈りの基本である「主の祈り」の中で、「我らの日用の糧を今日も与え給え」と教えています。「今日も」で、明日のことは主に委ねて、今日一日を生活するのです。イスラエルの民が40年間、荒野をさ迷った時、神は毎日、その日その日のパン(マナ=これは何?)を与えてくださいました。

「明日のことまで思い悩むな」(マタ6・34)そうです。一日一日を主に感謝しつつ前進しましょう。