2018年3月 第423号 「何をしてほしいのか」

イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。(マルコによる福音書10章51節)

 

イエス様一行がエリコの町に来られた時、道端に座って物乞いをしていた盲人バルティマイは、イエス様が通られると聞いて、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けました。人々が叱って黙らせようとしましたが、彼はなお必死で叫び続けます。

イエス様は立ち止まり、盲人を呼び寄せて彼に尋ねられたのが「何をしてほしいのか」です(同章46-54節)。

だれが見ても、この盲人が必死で求めているのは目が見えるようになることでしょう。それなのに、すべてをご存知であるはずの神の御子イエス様がなぜ、「何をしてほしいのか」と尋ねられたのでしょうか。

それは、彼の心の内にあるイエス様に対する信仰を引き出し、彼自身の信仰の言葉として聞こうとなさったからです。そして、イエス様は「あなたの信仰があなたを救った」と言われます。すると盲人は、すぐ見えるようになり、イエス様に従いました(同52節)。

聖書に「魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです」(ヤコブ2・26)とあります。

あなたも、心の内にあるイエス様に対する信仰をはっきりと口で告白し、バルティマイのように「上着を脱ぎ捨て、躍り上がり」イエス様に近づきましょう。イエス様はそれを待っていてくださいます。